二対の詩 あだし野
*二対の詩
「陽の埋葬」
庭にいるのはだれか。 (エステル記六・四)
妹よ、来て、わたしと寝なさい。 (サムエル記下一三・一一)
箪笥を開けると、
──雨が降つてゐた。
眼を落とすと、
──雨蛙がしゃがんでゐた。
雨の庭。
約束もしないのに、
──死んだ妹が待つてゐた。
雨に濡れた妹の骨は、
──雨のやうにきれいだつた。
毀(こぼ)ち家(や)の雨の庭。
椅子も、机も、卓袱台(ちやぶだい)も、
──みんな、庭土に埋もれてゐた。
死んだ妹もまた、
──肋骨(あばらぼね)の半分を埋もれさせたまま、
雨に肘をついて、待つてゐた。
肋骨(あばらぼね)の上を這ふ、
──雨に濡れた蝸牛。
雨に透けた蝸牛は、
──雨のやうにきれいだった。
手に取ると、すつかり雨になる。
戸口に佇(た)つて、
──扉を叩くものがゐる。
コツコツと、
──扉を叩くものがゐる。
庭立水(にはたづみ)。
わたしは、
──何処へも行かなかつた。
わたしは、
──何処へも行かなかつた。
死んだ父もまた、
──何処へも行かなかつた。
戸口に佇(た)つて、
──繰り返し扉を叩いてゐた。
戸口に佇(た)つて、
──繰り返し扉を叩いてゐた。
/田中宏輔さんのこの詩に、私は強く胸打たれた。
「雨の庭」
墨の絵を描く嬰児が
天照る水に
その掌をかざす
庭の雨に立ち
空は、なぜか
晴れ渡っていた
肩に触れる小さな羽根
それは、鶉の羽だった
鶉の卵の小さな顔が
僕の肩にいつも乗っていた
同じ産着を着せ
四つ手の體が
同じ床で拭われた
庭咲く萩の花房を
雨粒は細かく弾いた
ある時、突風が
雨を割り砕き
二回、窓を叩いた
二回、窓を叩いた
庭の雨に立ち
空は、しかし
晴れていた
改稿 2012/11/19
×庭の雨、、雨の庭×、どちらがどうしたもんか?と考えたことがあった。田中さんの上の作品、長く心に残して、おきたかった。
スミの名の妹の追憶を、詩人の彼は最上の詩にしてくださった。
彼の詩集を買ってしまった。
記念に書き込み
いつか、またお逢いしたいものだ。
*あだし野
日暈囲う真昼の稔の 風゛とは男の代名詞である。落ちる葉も散らかる道もカサカサと舞い込む二つの語はすなわち女の代名詞である。
振り向くなく、仰向くなく、赤く染めた貪婪な星星の降り注ぐ御影石。数多くの行先をりんりんと照らしながら、ふみなり供句化野の。
自分のなしことは自分でなくともしないまま、石仏八千体。個己が大地に疼き、表皮を脱ぎ捨て、身を寄せていた。
(化野念仏寺
>吉田兼好
化野の露消ゆる時はなく鳥べ山の烟立ちさらでのみ住み果てる習いならば如何に物の哀れもなからん世はさだめなきこといみじけれ
>西行法師
誰とても
留るべきかはあだし野の
草の葉毎にすがる白露
*あだし野は化野と記す。「あだし」とは儚い、虚しい、の意で、又、「化」の字は「生」が化して「死」となりこの世又はあの世に再び生まれ変わる願いが込められている。この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世は土葬となり、人々が石仏を奉り別離を哀しむところとなった。と