水木しげる、野坂昭如、また最近の政治

長文謝、m(_ _)m

(水木しげるさんの戦記物の漫画は読んだことはないが、小学校時分けっこう図書館で人気の書でボロボロだったが借りれたときは嬉しかった)

http://blogos.com/article/148968/
水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻 - 雨宮処凛(マガジン9)
………水木さんの語り
………
…… 一日中寝ているしかなく、ぼんやりと考えごとばかりして暮らしていた。文明なんてなんだ、いじめられ、そして、何かあると天皇の命令だから死ねとくる。また、忙しいばかりで何もない。それにくらべて土人(著者注 現地人のこと)の生活は何とすばらしいものだろう。即ち、日本人には味わえないゆったりとした心があるのだ。
 いぜんとして乾パンもめしものどを通らず、熱も下がらないまま、ある夜、注射が突然こわくなり、じっとしていられなくなって軍医のところへ行こうとヨロヨロ歩きだした。
 あとでわかったことだが、少し狂ってきていたのだ。意識もあまりはっきりしていず、気がついた時は、豪雨で川みたいになった道をヨロヨロと歩いていた。熱い体に冷たい雨が、なんとなく心地よい。あたりは真っ暗。
 そのうちジャングルの中に入り、前にもうしろにも行けなくなった。動こうと思っても、指と首ぐらいしか動かない。「ああ、俺はこんなところで死ぬのか」と思ったまま、意識がなくなった。
 ガヤガヤという声がして、二、三人の戦友と軍医さんに手足を持って壕の中へ運ばれ、リンゲルという注射を打たれた。
 病気は一進一退で、寝たままだった。外では玉砕の歌が歌われ、死の気分が漂っている。いま生きたとしても、どうせ敵が上がってきて一年後には死ぬだろうというのが、そのころの兵隊の気持だった。前線は、はるか先の沖縄あたりになっているのだ。
 ジャングルに埋もれた、左手のない遺骨。一年後の自分の姿を想像したり、頭も少しおかしかったとみえて、軍医さんをなぐったりしたのもこのころだ。


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野坂昭如さん
死の4ヵ月前に綴った、安保法制と戦争への危機感
「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」】 リテラ

 12月9日、作家の野坂昭如心不全のため都内病院で亡くなった。85歳だった。
 野坂昭如といえば、大島渚小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティー大島渚と大乱闘を繰り広げたり、ブルーフィルム製作を営む青年たちを主人公にした小説『エロ事師たち』(新潮社)を出版したり、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」(株式会社面白半分)に永井荷風四畳半襖の下張』を全文掲載してわいせつ文書販売の罪で起訴されたりと、マルチな分野で才能を発揮しながら、つねに冗談とも本気ともつかぬ、軽妙かつ過激な言動で世間をアジテートしてきた。
 そんな野坂が人生を懸けて表現し続けてきたものがある、それは「平和」への願いだ。
 自身が体験した悲惨な戦争体験から、戦争の恐ろしさ・平和の大切さを発信し続ける姿勢は、最晩年になっても変わることはなかった。本稿では、そんな野坂昭如が最期に残した言葉を紹介したいと思う。
 野坂昭如、最期の平和へのメッセージ。それは、「サンデー毎日」(毎日新聞出版)2015年8月23日号に寄稿された文章「二度と戦争をしないことが死者への礼儀だ」であった。
 野坂昭如の代表作といえば、1967年に発表され直木賞を受賞し、88年に高畑勲によってアニメ映画化された『火垂るの墓』があげられる。この物語が彼の実体験をベースに書かれていることはよく知られている話だが、まず彼は『火垂るの墓』についてこのように綴っている。
〈ぼくは焼け野原の上をさまよった。地獄を見た。空襲ですべて失い、幼い妹を連れ逃げた先が福井、戦後すぐから福井で妹が亡くなるまでの明け暮れについてを、「火垂るの墓」という30枚ほどの小説にした。空襲で家を焼かれ一家離散、生きのびた妹は、やがてぼくの腕の中で死んだ。小説はぼくの体験を下敷きにしてはいるが、自己弁護が強く、うしろめたさが残る。自分では読み返すことが出来ない。それでも戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、ぼくは書き続けてきた。文字なり喋ることだけで、何かを伝えるのは難しい。それでもやっぱりぼくは今も戦争にこだわっている〉

 戦争とはどれだけ酷く、悲しいものなのか。野坂は次のように言葉を重ねる。実際に戦争を体験し、その悲しみを身体に刻み込んできた彼から放たれるメッセージには並々ならぬ重みがある。
〈戦争は人間を無茶苦茶にしてしまう。人間を残酷にする。人間が狂う。だが人間は戦争をする。出刃包丁で殺そうが、核兵器で殺そうが同じことである。戦場で殺し合いをする兵士が、家では良き父であり、夫である。これがあたり前なのだ〉
〈戦争は人間を人間でなくす。では獣になるのか。これは獣に失礼。獣は意味のない無駄な殺し合いをしない。人間だけが戦争をするのだ。今を生きる日本人は、かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと、どこがどう違うのか。何も変わりはしない。だからこそ戦争の虚しさを伝え続ける必要がある〉
「かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと今を生きる日本人は何も変わらない」。この夏、我が国が「戦争のできる国」へと大きく舵を切った後に読むと、より考えさせられる言葉だ。この一文が象徴しているように、強硬なプロセスで採決された安保法制と安倍政権のやり方に対し、野坂は怒りを隠さない。
〈安保法案は衆院強行採決された。じゅうぶんに審議は尽くされたという。審議尽くされたはずが、国民の大多数は説明不十分だと受けとめている。国民、学者、専門家から批判の声があがるが、お上はこれを無視。安倍首相をはじめ、政権側は、衆院に送り、今後国民にしっかり説明していくとのたまう。だが国会は説明の場ではない〉
 続けて野坂は、表現・マスコミに関わる者として、今のメディアを取り巻く環境を戦前のそれと重ね合わせる。
〈安保法がこのまま成立すれば、やがて看板はともかく、軍法会議設立も不思議じゃない。これは両輪の如きものとも言える。すでに特定秘密保護法が施行され、さっそくの言論弾圧。そのうち再びの徴兵制へと続くだろう。
 言論弾圧が進めば、反戦的言辞を弄する者は処罰される。すでにマスコミにも大本営発表的傾向がみられる。これがこのまま続けば国民の国防意識を急速に高めることも可能。たちまち軍事体制が世間の暮らしの仕組みの上に及んでくる。戦争ならば覚悟しなければならない。往年の国民精神総動員令がよみがえる〉
 彼が主張する戦前と今の類似点は、報道に対する圧力だけではない。国民の声は無視、まるで独裁者のように振る舞う政府の姿勢も戦前そっくりだと野坂は語る。
〈かつて軍国主義は軍隊が専横をほしいままにし、頂点に立つ何人かが協議。制度を整え、戦争を準備した。強力な指導者の登場は挙国一致体制が前提。今は軍国主義の世の中ではない。だが、世間が反対しようと無謀であろうと、無理のごり押しを平気でする。決めたらひたすら突き進む。この政府の姿勢は、かつてとそっくり〉

 戦後70年の節目にして、戦前のような状況に戻ろうとしている日本。無論、このことは国民の我々にとって絵空事ではない。彼は次のように警鐘を鳴らす。
〈日本が戦争出来る国になる以上、戦争を想定した上での都市のあり方、疎開や備蓄、あらゆることを考えておかなければならない。積極的平和主義など姑息な言い方はやめて、安倍首相は国民にとって戦争というものが、どういうものかを、論理的に説明すべきだろう。本質を語らずうわべばかり〉
 死のわずか4ヵ月前、安倍政権による“戦争のできる国”づくりに対する危機感を訴えていた野坂。先の戦争を知っているからこその危機感だろう。11月30日に亡くなった水木しげるもそうだが、先の戦争を体験し、その悲しみを伝え続けた世代が次々と鬼籍に入っている。それにつれて、この国は戦争の恐ろしさ・悲しさを忘れつつある。
 戦争の犠牲となった人々、また、その悲しみを戦後70年間抱え続けた人々、そんな先人たちのためにも、いま一度「平和」への誓いを新たにしなければならない、と野坂は綴る。そんな野坂昭如の最期のメッセージをあらためて噛み締めたい。
〈戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか〉
〈どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ、顔向け出来ない〉
(新田 樹)
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戦争を直に身に受けた人々の、ことを、

さてところが、たった!70年前の何百万人の犠牲、そうした死の地獄の現実の生け贄から、たったこれだけ!を手にした日本の国民の憲法おちゃらけにさせ、一部の現実政治は、いずれそうするレールを巧妙に再び敷いた。抜け目なく

こうしたことをメディアはオブラートに包ませながら世論をなびかせ、蓋を開けたらホラこの通りだ。
こうした手口で来年の参議院選もやるだろう。

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橋下氏「自公と改憲めざす」 
おおさか維新が新執行部
2015/12/13 0:29 日経
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASFS12H5V_S5A211C1PE8000/
 橋下徹大阪市長が代表を務める「おおさか維新の会」は12日に市内で開いた党大会で、18日の市長任期満了に伴い政界引退を表明している橋下氏の後任に松井一郎大阪府知事を選出した。橋下氏は党大会後の会合で「来年夏の参院選で自民、公明両党とおおさか維新で3分の2の議席をめざし、改憲の体制をつくる」と述べ、安倍政権がめざす憲法改正に協力する方針を示した。出席者が明らかにした。
 おおさか維新は12日、役員会を開き、共同代表には片山虎之助参院議員、幹事長に馬場伸幸衆院議員が就くことを決めた。橋下氏を党の「法律政策顧問」とすることも確認。政調会長には地域政党大阪維新の会」の政調会長を務める浅田均大阪府議、総務会長に東徹参院議員を充てる人事も内定した。
 松井氏は党大会後の記者会見で「憲法改正はおおさか維新の考え方のひとつだ。改正の国会発議に必要な、衆参両院で3分の2勢力に入る」と述べた。綱領に掲げる「大阪副首都化」の法制化をめざすため、他党に協力を呼びかける考えも示した。

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第三極の政治権力野党というイメージを植え付け、ウハウハは、経済政策などをちらつかせ、(経済政策というが『官製経済』『金融資本経済』実態経済は時とともに悲惨な状況をオブラートさせきちんと報じないメディアと結託し、橋本維新をワイドショー的に持ち上げたまま、)

彼ら政治家の理想は国や国家全体であり、国民はその国家企業の部下や請け合い人間としてみる。彼らをあんだけ贅に潤に税を納し、生かしているが、私たちはそのおこぼれをさずかる者として扱う、家族の財、人権、生活も幸福も、彼らの取り締まる限定内で国民を位置ずけ、そのコンベアシステムを政策構築しているだけの腐った政治屋哲学だ。


橋本のツイッター

安倍政権・官邸、恐るべしの政治。これが政治か。軽減税率でここまで妥協するとは」と書き込んだ。「目的達成」のための妥協ならすごすぎる。僕はケツが青すぎる。

軽減税率を生鮮食品だけでなく加工食品もなら、まぁまぁ、とか。で?、何を目標?、