今日は憲法記念日だ、

今日は憲法記念日だ。

http://sayuflatmound.com/?p=11105.

こうしたものを読んで、疲れた。

今日は憲法記念日だ、

自分の住むところの集会に参加した。

かなり、だ。

デモの朝前に、哲学の本を引っ張り出して読んだ、

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、共同体のポリティクス(著者,浅野俊哉)より、P44 より抜粋。

スピノザ
古典的な権力が、君主権の形を取るのをやめ、生命の養護、管理者としてのテクニックとして支配するようになったとき、権力は(生き物や怪物のように)生そのものとなる。と同時に生そのものが権力に対する抵抗となった。……
*権力とは、精神に非十全な観念しか与えず、私たちがその部分的な原因でしかないことを私たち内部に引き起こす、外からの力のことにほかならない。*
(括弧は 私が捕捉)

ジル・ドゥルース
私たちは概して不快な世界に住んでいるのであり、そこでは人びとだけでなく、既成権力が私たちの悲しみの情念を伝播させることで利益を得ている。既成権力は、私たちを従属させておくために、私たちの悲哀を必要としているのだ。悲哀、悲しみの情念とは、私たちの行動する力を落とすすべてのものだ。圧政者(過去のファシスト…今の日本政治に携わる人間やそうした認識でみられる人…)、聖職者(黒人を奴隷化させた宣教師…)、魂のブローカーたち(…シオニスト…)、彼らは私たちに人生が辛く重荷であることを説く。(暴力とも言ってよいこうした)権力は、私たちを(物理的にあからさまに)抑圧するよりは不安に陥れ、私たちのささいな内心の恐怖心を管理し、組織化する必要があるのである。
 (括弧は 私が捕捉)

スピノザ
受動の感情は、私たちが、その感情についての明瞭・判断な観念を形成すれば、直ちに受動ではなくなる。受動的な感情それ自体の原因についてしっかり思考する精神の姿勢があれば、人間は奴隷の状態から抜け出す条件を得ることができる。

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拡散希望】311の犯人〜●●●●政府は事前に東北大地震を知っていた!という匿名のYouTube編集動画があった、(●●●●とは亜米利加だが、国ではなく、一部のそうしたグループと考えたほうが無難と思う。)とてもじゃないがそのYouTubeは張り付けられない。最近こうした基点からの情報も入れているのだが、部分的要素から、ある事実を示す。結論は後になって明かされる。
虚構をリアル化し、事実をフィクション化させる、

あなたは信じますか?、

、宗教を装い、人間の精神も感情も、あらゆる生をも管理し支配する方法を、生権与奪を自分たちの思い通りにコントロールしていく方法を、

どう理解し、分析し、洞察し、論じてよいのか、今、わからない。

きちんと社会のオモテにだすこと、伝説や映画ではない、リアルに地上に彼らの生み出す集団殺戮の種を、そこから芽生えてくるあらゆる可能性を、オモテに出すこと。

だが、それだけではマズイ。

例えば、過去の真珠湾攻撃も戦争へと誘き寄せるアチラの画策であった、と、、しかし、そうした歴史の再認識さへも、盾にして、(現在ウヨは思想的に、過去の日本の行いを庇護している、)

オモテに出した一部の認識から、見方考えかたを、自分たちのポリシーに沿う視点に留まり、主観的な認識問題で、安易にカタをつけることはマズイと、私は考える。

問題は、大衆が、こうした與論を安易に用い、危険な方向へと時代の歩みを進めないこと。

いずれ私たちはこうした資料さへも下手に見過ごせなくなるだろう、と推察する。

そら、恐ろしい、と思うことは、こうした事実が事実として認めたら、もう彼らの作為として、彼らの恐怖支配を認めてしまう。結果、ユルしてしまう、或いは黙って従うことにつながってしまう。自発的服従である。

それが彼らの陰謀そのものであるに違いないのだから。

すなわちゲーム論(殺戮と生き残りのサバイバル)へと、世界の一般人を誘い込み、戦争へと引きずり込む罠として、機能することを、工作する。

そして、彼らにしたらどこまでが事実であるか、それとも否かは、彼らにはどうでもいいのだ。どんなカタチであれ、恐怖と悲しみと不安とを多くの人びとに与えれば、大衆は、ソチラに向く。

匿名の人間が犯す悪魔的な思想や宗教とも呼べる。もはや人道的な罪という次元を超えたモノである。

今世紀の新たな戦争のはじめ方、今さかんに動き始めている対テロ戦争を、どうやって普遍化させるか?。彼らの悪魔的な知恵の働かせかた、その行動には凄まじいものがある。こうした陰謀が出鱈目か否かという問題もいずれは通用しなくなるだろう。

今のところ、
でっち上げたシナリオだ、デマだ、ドラマツルギの類いにすぎない。「封印する」べき。と軽視されている……或いは、一部が主体がみえないため、ある種の強迫観念に囚われながら、「事実と認める」か、……しかし、そのどちらであっても、彼らは、被る人間を支配し自発的な服従へと追い込むことが、どっちにしても可能である、と彼らは考えていることだろう。

必然的に、である。

結果、世界を戦争へと導く手段として人為的な作為であれ、偶発的な奇縁であれ、こうした現象を利用していくのだろう。
世界的な視野でその動きをツクリ、歴史を支配することが、できると、考えていることだろう。

メディアも金融も主要な国家政治へも介入し、世界を支配し続けるたくらみ(思想)を感知(監視はできないが)、やはり視野に入れておくこと、人類の未来にも関係する素であろう。

戦争への入り口をその道へと導く巧妙なからくり(テクニック)を見抜くこと。

人間を、その生業を、蔦(ツタ)のように絡めとり集団の心理を操ること、不安や恐怖や悲しみは支配する人間にとって一網打尽にできる最たる手段だ。人びとを内面的に服従させ奴属させ、そうせざるおえない向きへと陥れる、それを可能にする最たる手段だ。

私たちの国も、そういう世界に屈従していく向かいかた、その元凶を見抜き、背中をとる、背徳の仮面を暴く、という態度。

、人間、私たち、私自身、存在している、私自身、の問題でもある。

今日は憲法記念日だ、自分の住むところの集会に参加した。

日本国憲法は平和牧歌ではない。

日本だけのものではない。