李相和 イ・サンファ / 奪われた野にも春は来るか

http://m.youtube.com/watch?v=E2xLDTtROwA

最近のチャンネルはちゃんとネットでアップされているのですね。 携帯モバイルでは無理ですが、いつでもPCで観られるようですね。だからといって、自国の我々がこのことを、そしてこのことから、どこまで多くの人々が真摯に真剣に対峙できているだろうか?。どこまでこれからのわたしや私たち家族の未来を、どこまで……我々一人一人が抱えきって、できていない意識の問題を、皮肉にも異国の人のほうがよほど深く考えている。と、この番組で感じました。(思考を避けてしまう)この問題『人事の罪』として、韓国一人の歴史的教養・哲学・韓国の囚人たちを写真に撮り、韓国にも林立する原子力発電所。そうしたなかでフクイチを目の当たりにしたむしろ、  三世代いや七世代、継続的に尾をひくレベルの人間生命に自然の生命に、多大な悪影響を付す核の脅威は、絶対です。  万有引力の法則と同じく自然の摂理として、たかが人間が抗弁し都合よくリライトできない自然の摂理として、あります。 この番組はそうしたなかで“人間を問う、ていくこと。なかなか素晴らしい永久保存の番組であると思います。  ___________________________________________________________________________



http://en.wikipedia.org/wiki/Yi_Sang-hwa
李相和

日本によって韓国併合を、朝鮮半島が支配されたときの故郷を追われた詩。


 『いまは他人の土地――奪われた野にも春は来るか』


私はいま全身に陽ざしを浴びながら 青い空 緑の野の交わるところを目指し 髪の分け目のような畔を夢の中を行くようにひたすら歩く

唇を閉ざした空よ 野よ 私はひとりで来たような気がしないが おまえが誘ったのか 誰が呼んだのか もどかしい 言っておくれ 風は私の耳もとにささやき しばしも立ち止まらせまいと裾をはためかし 雲雀は垣根越しの少女のように 雲に隠れて楽しげにさえずる 実り豊かに波打つ麦畑よ 夕べ夜半過ぎに降ったやさしい雨で おまえは麻の束のような美しい髪を洗ったのだね 私の頭まで軽くなった ひとりでも足どり軽く行こう

乾いた田をめぐる小川は 乳飲み子をあやすように歌をうたい ひとり肩を踊らせて流れていく 蝶々よ 燕よ せかさないでくれ
鶏頭や昼顔の花にも挨拶をしなければ ヒマの髪油を塗った人が草取りした あの畑を見てみたい 私の手に鍬を握らせておくれ 豊かな乳房のような 柔かなこの土地を くるぶしが痛くなるほど踏み 心地よい汗を流してみたいのだ

川辺に遊ぶ子どものように休みなく駆けまわる私の魂よ なにを求め どこへ行くのか おかしいじゃないか 答えてみろ

私のからだ中 草いきれに包まれ 緑の笑い 緑の悲しみの入り混じる中を 足を引き引き 一日歩く 

まるで春の精に憑かれたようだ

しかし いまは野を奪われ 春さえも奪われようとしているのだ