東京デモクラシ

去る
6月30日時の、国会議事堂、官邸前での集会。千人二千人ぐらいは集まったか。10時過ぎになってもおさまらなかった。

(あとから知ったが述べ4万人だったらしい。)

東京での滞在たった半日だったが、ここでの出来事は、これまでの、何年と十年二十年と、積もるものがあったように感じた。
この先もだ。十年二十年とこれから先も抱えていくんだと思う。
今改めて写真を見ながら、多くの方々もそんな思いを抱えているんだと思う。

強引に決定された、あの国家『権限』。集団的自衛権のこれまでの経緯を纏めた薄い本を読みながら、後ろの列でひっそりと並んだ。官邸前や国会議事堂前ではやはりわたしも声をはりあげた。
わたしはこれに決して従わないのだ。という意思表明である。

鳴り響くサンバのコンガリズム、マイクのボイス、いろんなグループが、8ビートのコールを休みなく繰り返し聞かせてくれていた。もう、ロックに近いノリだった。前衛の列にいけば行くほどだんだんテンポが早くなる。

路の脇に並んで、子どもたちの甲高い声も聞えた。
若い方々がかなりたくさんいた。『若者殺すな!、俺たち殺すな!』、学生らの若い声には、さすがに自分も胸がつかえた。

……、若者?、俺たち?、殺す?、いったい誰が?、いったい誰を?、…などとたずねる読者がもしやいるかもしれない。だがそうした愚問や愚考が、いまの『解釈改憲』だ。いちいちこれ以上説明しない。

また、来るから。
そんな気持ちだ。




なんせ、
この人たちがわざわざ私を東京まで来させたのだから。。彼らに感謝だ!!。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓。http://civitasmusashinotokyo.orgのCivitas Musashinoさんを知りメッセージを送った。


 学生さんはじめ若い皆さんがたが、来るべき未来の立役者です。頑張ってほしいし、応援しています。
 大人社会にどっぷりの人間はいろんなジレンマを抱え正直に素直に、社会に対し意見できなくなる者が多数です。わたしも同類の人間です。私の仕事環境もここ1年2年の間に徐々に一変しはじめました。軍需に手をかけながら技術者技能者として、その身上はたいへん耐え難いものです。反戦主張を訴えながら、まったくこの身に説得力を欠くというものです。このままエスカレートするなら辞職も考えています。
 戦争に絡む経済社会が日本に今後かなりの勢いで注入されていくこと。国内経済や人々の家計や家族に注入されていくこと。私たちの持つ良識や人倫を失わせ、、金を対価に、黙らせるということ。
 戦争に絡む経済や社会が、その行為が、私たち社会にも他国の大国同様、抜け出せなくなること。
 若い皆さんが来るべき未来の立役者です。頑張ってほしいし、応援しています、そして自分も、負けじと、やっていきます。ありがとうございました。


ありがとうございます。 お仕事で抱えられているジレンマのこと、 すべて理解するなんてもちろん出来なくて、 軽々しくは言えないけど、 重いジレンマを抱えながら、 それでも発する言葉にしか、 価値なんてないって思ってます。 俺らはずっと、若いとか、大人とか、関係ないって思ってやってます。 お互いの体で、お互いの場所で、やれることやりましょう。 逃げずに、思い詰めずに、しぶとく。 リアルに言葉かわす。

とのご返事、

△ と、まぁ、長々とメッセージを送ったものの、なんにも納得がいかないので、明日のバスと新幹線を予約した。まぁ、この目でしかと、見届けてやろう。群衆の熱気がどれほどのものか、目撃してやろう。真面目に仕事したところで、なんにも変わらないのだから。。。示威リズムを踏みながら明日の今ごろ、『善悪の彼岸』でもぶつぶつ読んで歩いていよう。へッドの灯りを落として、官邸前まで独りぶつぶつ行進するまでだ。。。         そろそろ一年だ。ブック更新を頻繁にはじめて。そろそろリアルな仲間にもリークしていこう。 。。
明日のために寝る。 。。

最近寝ながらよく聴いている、ばかのうた、が素晴らしすぎる。
http://m.youtube.com/watch?v=uYJS0O-9tIc
 

【付録】
最近の安倍への文書

積極的交戦主義、集団的自閉権、孤立保護法、…まぁどんな名であれ、
結局、いつまでも終わらないアメリカのアリジゴクに、…我々も手を貸すということ。
愚かな世界のなかで、働き蟻となって我々の命や仕事を捧げるということ、
反戦主張者もネトウヨ者も、加担したくない者らも、推進実行の歯止めの効かない戦争法を、国民誰もに背負わせるということ、

ネトウヨ読者がここでは、多いだろうから、長々と文章を打つ。、近隣の中国・韓国との関係について「日本も大変なのだ」という同情に漂うお仲間ら。

アジアの台頭などといわれる昨今、成長著しいアジアに刮目するとみる欧米のメディアも世論も、いつまで経っても近隣で足を引っ張り合い、力を消耗い合うアジアの愚かさを、遠目にみながら冷淡視していることを、なにも感じとれないのだろう。ネトウヨの不感症さに至っては。

大航海時代以来、欧米植民地主義の要諦は、地勢に内在する対立を利用して自らの影響力を最大化する分断統治を。今日に至ってもアジアは、理性ある連携よりも、専ら、民族・宗教などによる対立に埋没するという罠から脱却できていないことに。まったくネトウヨ方らは自覚できていないようだ。ここにぶら下がる低脳コメントらがこのなかで赤裸々に実証してくれている。

アジアでの、その対立の誘惑から脱する基点は日本ではじめなければならないはずなのに。ウヨもそれに親いメディア記者も、そんなことにも考えが及ばないようである。

中国・韓国の偏狭なナショナリズムに突き上げられ、やむなく日本も緊張感を持って向き合わざるをえない」などと、確かに(笑)それぞれの国が抱える事情で、政治家はナショナリズムを武器に自身の正当化を図るという手法に陥るまま。こうした現在の安倍政権下の日本が世界に発信しているメッセージも、同じ穴のムジナと思われても仕方がないほど、侠視野であるこの国の民も政治も。日本近代史の省察に立つこともできず、戦後民主主義の成熟を世界に生かすよりも、国家主義的な傾向を強め、戦争をしたがる日本である、という、そんな郷愁じみた思いを国民全体が抱いているかのような印象を、誤解を、世界先進国メディアが誤解として受けとられていること。対し自国は、なんの返答もできないまま、この国のこのザマが、まさにこうした法が姿なのだ。

本来なら日本から、半径数千キロメートルのなかのケンカ腰の軍事戦略ではなく、アジア連携の外交構想を示すべきであるのだが、やろうともしない。

話しが逸れた。

積極的交戦主義、集団的自閉権、孤立保護法、…まぁどんな名であれ、

結局、いつまでも終わらないアメリカのアリジゴクに、…我々も手を貸すということ

愚かな世界のなかで、働き蟻となって我々の命や仕事を捧げるということ

反戦主張者もネトウヨ者も、加担したくない者らも、推進実行の歯止めの効かない戦争法を、国民誰もに背負わせるということ

当時の、ラムズフェルドやパウエルやブッシュが、今の日本の政治家、誰とは言わないが、顔つきまでなんだか似だしている気がしてならない。


http://www.paulcraigroberts.org/2014/06/14/washingtons-iraq-victory-paul-craig-roberts/
【和訳】
アメリイラク「勝利」 −その2 最終章−

【6月14日 By Paul Craig Roberts】

 議会もメディアもアメリカ政府のイラクに対する姿勢の変化について知ろうとする意欲は見られなかったので、「イラクの脅威」というものはアメリカ人にとってはミステリーとして残ることになるだろう。 

 しかしイラクを恒常的な戦争地帯にしたアメリカの誘導した暴力沙汰がなければ、イラクを纏めていた政府であった世俗政権だったサダム・フセインの政府の破壊の結果は、アメリカがイラクを占領する際の規模あるいはそれ以上の暴力沙汰が何年も継続するものとなった。

 アメリカ政府は人道的配慮に欠けている。覇権こそがアメリカが唯一考えていることだ。アフガニスタン、リビヤ、ソマリアパキスタン、イェメン、