昨日の日記

 一徹 二徹 仮眠二時間、今朝出勤 退社し社員食堂で ワンセグニュース観戦 今になって今さら集団的自閉権でばか騒ぎ。 高校生がこのテーマについてのディベート授業風景をニュースが流していた。 あぁあ、始まった。 “あっち”の“やり方”が 始まりだした。 若い頃から自分で考え意見を持ち、反対の意見もあるのだと。 挙げ句の果てに、民主主義などという言葉をちらつかせる、ニュース解説者。 アメリカに乗る船の、お父さんがたお母さんおじいちゃんおばあちゃんがたの命が、狙われても…、などと…幼稚園児の幼稚園児のための幼稚園内での国会討論。相変わらずバカなエンタメニュースばかりだ。

 これからネットカフェでプレゼン追い込みの資料を作成するつもりである。 戦闘兵器製造ラインを分単位でストップウォッチしたデータから、どう効率よく流せるかを思案中。 俺はもう狂ってるかもしれない。

 こうした仕事に手をつけることがあっても、家族や子どもを食わせるために厭わない。 何が大事かって?。そりゃ自分の家族だろ。 こうしたあっちのアメリカ、ブッシュの息子が二期当選を後押した有権者はみんなそうした人たちだ。

 そうした戦争経済社会が日本でもはじめられるということ。 若い方よ、よくよくわかってから、自分の意見をちゃんと持って欲しい。

 ニュースでは言いません。 アメリカを狙う民間の船を、狙うのは、アメリカの敵対と、ありとあらゆる証拠を工作し、二兎に分けてニュースで報じれば、嘘は嘘であると嘘を、いくらでも積み上げれば、グレーゾーンはいくらでもできるのだから。もし、事実を事実として、事実によってのみ語られるなら、どこでもストップがかけられるのだが、それをなんとしても避けること。なんとしても事実を封じ込めること。

 戦争に持っていくための秘訣である。


 ネットカフェで仕事に手がつかないまま読む 

ノーム・チョムスキ著 メディアとプロパガンダ P73より 抜粋と要約

 プロパガンダを行う人たちの常識、原則としてひとつ挙げておきたいのは、「標的とする視聴者にすり込む内容が独断的意見であってもそこに説明を加えてはならない」、という彼らのテクニックがある。 

 明らかな形で表出させてしまうと、省察や検証の対象にさらされてしまう。彼らにとってふさわしいのは、止むことなく偏見を徹底的に反復することで自明の条件そのものとしてしまうということである。

例えば、

 「ソ連の軍事的脅威が減少するとともに第三世界への化学生物兵器核兵器の拡散が世界の安定に対する最大の危険となりつつある」。

もし、この内容が自明の真実と理解すべきものとされるには、次のような想定がある「過去においてソ連の軍事的脅威が“自国の「安定」に対する最大の危険だったが”、それが第三世界に代わったのだ」、という前提である。“自国の安定”という説明を加えないまま 言うのである。

 だが振り返ってみればアメリカによる直接的侵略、政府転覆工作、経済制裁、国際テロ、代理戦争が行われた、インドネシアグアテマラドミニカ共和国キューバニカラグア、チリ、(最近は、リビア、シリア、アフガニスタンイラク、)上げればキリがない・・・アメリカ合衆国の軍事力が「安定」を脅かしたことについては自明の理解には決して組み込まない。

 こうした考えの基礎にあるのは、国家というものが決して間違いを犯さず、本質的に悪なのは国家の敵だという“信念”である。

 そこから派生して、アメリカ合衆国と同盟関係にある顧客たちがときに欠点をあらわにするし完成度は到底及ばないにしても、少なくとも“善の側にいるという確信”が生まれる。


 1995年4月15日 LOOT誌 御中