回文

 http://www.youtube.com/watch?v=26NxXdDlnmw

 『
 天を刺します我は針として・・・夜空の最上に燃え尽きた
  』


 星`の名前をポケットにいれーーホシたちとおはなしすることは、
 辞書のなかのひとつひとつの語彙をながめるようでおもしろい

 子どものころ星図を開いていた遠い記憶のシミを確かめ
 ●や○や◎やらの等星記号を夜空の位置に指差呼称する
 
 流れた・星を 待つ
 死んだばあちゃんが いってたっけ
 流れた・星は 過去の星 
 
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 流れた・星は なんだかマチ針のよう

 空を着飾る衣の襟を ピンで留め 

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 よたかが夜空へ飛び込む翼は
 天の最上で燃え尽きた、一瞬
    
 わずかばかりの君の網膜に
 流れた・星を
 よたかは見下ろし
 わたしは見上げる


 埃を番える針が眼を刺し



 \
  ☆  アッ 
    

   落ちた 

  ゆっくりと曳く光跡の痕は緑色だった
  
  
  天画に誉れし字体のイメ-ジ
  言葉に含意をゆだね 淡く残す・流星痕・(※)



      (※)漢字やひらがなを書くとき最後
        ハネたり払ったりすることがある
        紙の上に繰り広げられるあの余韻が 
        夜空でも同じように披露されるのだ  
        
        流星が 時に 強烈な光を放ったとき
        数分ものあいだ、淡い雲状の・黒い帯
        が空に ただよう        
        多くの星見愛好家たちも 
        なかなかお目にかからない


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 流れた・星・はまるでマチ針のよう

 天衣の襟袖をピンに留め 

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 天に憑かれた、大人びた星星は
 不動の正確さでゆるぎなく時と宙を廻り、
 プトレマイオス ガリレオ ニュートン 
 彼らの体系が織り成す天文学とは、星星をマチ針のように固定した。
 自然と人間とを隔絶させながら、阻害させてきた歴史があったのだ。
 
そんな理知のすき間を縫いながら、詩は


           詩とは   詩人の歌う星星``
     自分にしかわからぬ星なんだ``

 』


教えてくれた 
独りの詩人へ

        ―――― 献辞 ―――― 
  




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http://www.youtube.com/watch?v=hEpSRTAz4rY
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 子どもたちが汽車に乗り、真っ赤に燃えるアンタレスを見ながら、子らの交わす話…『さそりっていい虫なのよ、なぜって、』…と父が教えてもらったお話しの始まりのシーンがある。 そのお話しのなかに一匹のさそりが神に告白するシーンがある。
 我々は情報知識を膨大に得ていきながら他や他者を評したり判じたり論じたりいがみ合ったりほめそやしたり
 日常メディアは、みんなそんななかでガチャガチャやってるばかりのロゴス。 『さそりって実はいい虫なんだ、そんなの嘘だ、』 そうしたなかのやり取りからもう抜けだせないまま、娑婆大人の我々は奔走しているばかりでないか。
 人間から離れた一匹のさそりの、その告白そのものを、大人たち人間は、美談という理解…人間の理想の美徳という理解だけに留まるばかりではないのか。
 現代社会人間はそこからなにも進んでいないのではないか。と、私は気がする。
 仏教やイスラム教にある“喜捨”という考え方は(財やそうした欲望のなかだけの次元で言うのではない。)私たち人間社会が僅かながらでもそうした考えや備えを、もしそうしたところへこれから社会が少しでも近づこうとするならば、少しでも動くことができたならば、戦争をなくすことができるかもしれない。
 人間の発明した戦争が、なくすことができるかもしれない。…わからないよ、わからないけれど、現代、実社会に生きる私たちは、、この子らの一言一言の(他人事や夢語りに済まさないで、)実のところで、この子らの一言一言のなかに参与していくこと。