土日の出来事


 「頼むから来てくれや。」父から手紙で連絡をもらっていた。土日、浜松での個展の搬出に手伝いに行った。私が居なかった前から父は絵や現代美術を勝手気ままにやってきた人なんだが、土日久しぶりに浜松で父と再会。搬出を終え手伝ってくれた人たちとも別れ、宿泊所で話し込む、いつもの調子でいつも同じ話しかしない。
 親なら子のことばかり、親父なら子に小言あるいは黙って子の話しを聞くのが相場だが。上下の立場関係で親子は対話するものと相場は決まっているらしいのだが、家族というしがらみももう、なくなっている。父はアーティストの先輩として私は“彼と”対話するのが常である。
 いつものように「今回はどうだった?」と父が訊ねる。「まぁ作品数とその労力は圧巻だった、一年間の製作量だけあって。ただ前々から思うことがあるのだけど、あの昔ジャクソンポロックの、彼の終盤の作品と、対比されちゃうだろうね、おんなじ系統か?と、」。写真のとおり、はじめて観る人は。素材や加工方法の違い、制作の動機やスタンス、そんなん抜きにして、やっぱり観る者はどうしても…ね。遺された作品でしか観ないから。視覚、その系統からどうしても、そこに括られちゃうかな。当時日本でも大流行してみんなやってたし。その真似をいまだにしているんだから。半世紀も前をなにをいまさら!!、って。」

 その日も父に対しズケズケ言うわたしだったが、そんときは父も私も、それ以上喧喧言い合うことなく疲れた。あぁ「お疲れさま」と、乾杯し互いに労をねぎらった。浜松餃子をつつきあい、久しぶりに父とわたしは飯をともにした。自分もアートに関心がかなりあり彼の仕事について率直に伝えることができることは、とても大切なものと感じているのだ。もしやもう数えるほどしか、そういう機会ができないなもしれないから。
 相手に深く入り込み問い詰めていく対話の仕方。なぜそうできるのか?。オノレとエマエ、ただそれしかない。父のしてきた人間の真の対話。父はクリスチャンではないのだが宗教哲学でだいぶそうしたエッセンスを自分なりに得てきた人のようだ。父は北海道で子ども時代も青年時代も送り親父を産んだ母も聖書を読んで聞いていたらしいから、父の好きな内村鑑三やわたしも好きな気キェルケゴールでその類いのアチラの人たちの話を父から教わってきたから。彼の背中から幼い頃から感じとっていたわたしだった。

 「相手に深く入り込み問い詰めていく対話の仕方。」父もまた誰かの作品や作家のスタンスを批判するきらいがある。相手に対し「そこまで言うか?」と思えるほどに厳しい。にもかかわらずそういう作家がちゃんと会場に来てくれるのだからとても不思議。車を手配し免許のない父の手助けをかってでてくれる人がいて。わざわざ自分が京都から行かなくてもすんだくらいだった。40年50年とアートの活動をやってきた甲斐あってのことなのだろう。まわりの人々から人望のあつさに救われているのも確か。その日訪れてくれた地元の作家さんと会えば父はいつものように“説教”していた。「そんなのアートじゃない!!」
 当人に向け作品や創作のスタンスを、あれやこれやとズケズケもの言い持論を振り撒いていた。いちいち私は呆れて聞いていたがしかし、作家当人はその異見の質をちゃんと見極め、父とは逆の態度でわきまえながらもの静かに受け応えしていた。作家自身とわたしとは恐らく違った耳で父の話しが届いているのかも。どちらが大人で子どもか、どちらが紳士的振る舞いができているか、二人のやり取りは一目瞭然だった。声をあらげたりヘラヘラ笑ったり、老いた父は相変わらずだ、あぁあ、またか、
 お付き合いの仲なんかの関係で作家同志がアートするなら俺は話しもせんわ。そんなのやめちまえ、、っていう接し方でこれまで貫徹してきたからな。親父とホテルに向かう車のなか、ぼそっと一言わたしにもらした。「…あまり真面目すぎるのも困りもんだな…」「はぁ、どういうこと?」「…尊敬しなきゃ…まず自分を…。アートするなら特に…他人から吸収することばかりに必死になっちゃってる……」 「…批判し合ったり論じ合ったりなんてもうしないから。お父さんみたいな団塊世代は若いとき、それでできたんだろうけどもね。それがいいとは今はもうならないような、…なかなか難しいんじゃないかな、《あなたはあなた、わたしはわたし》、でそれ以上はお互い踏み込まない。そういう個人主義…の感じがする。いい意味ではない、個人主義が、」
…対談の続きは別途またアップするつもり。

 次の日朝方には父と別れ、街をひとり散策した。浜松市ははじめてだった。街の風景や様子がとても印象深かったから今回書き留めておこうと思う。名産のうなぎは好物とは思わないが浜松餃子はいつ食べても飽きがこなかった。なかなかあっさりした風味でたいへん気に入った。手土産に持って買った。 浜松は カワイ楽器やローランド社や、さすが楽器の街だ。街なかを歩けばアーケードや駅前広場ではジャズやクラッシックがひっきりなく流れていた。音楽が好きな人なら立ち止まって聴きいってしまうほど、よく聴こえていた。市内バスに乗ったが信号待ちのアイドリング時にはバスはエンジンを切り、ととたんにバス社内から馴染みの楽曲が流れる仕組みになっていた。コンドルが飛んでいく、ドナドナや、トトロ、、誰もが聴いたことがあるメロディが聞こえてくる。休日のせいかな。乗客もまばらで話し声が耳障りになることはなかった。清々しい春の陽気で街も人々もたいへん幸せな顔をしていた。
 楽器博物館があったので寄った。アジアアフリカ中近東、世界各地の古来の民族楽器やたくさんピアノが展示されていた。クラッシックの様式が移り変わりそれとともにビアノもいろんな改良がなされていく。専門的によくわからないが外観の異なるたくさんのピアノが広い会場に整然と並んでいた。若い女性の学芸員が訪問客相手にチェンバロを披露してくれた。生まれてはじめてチェンバロ楽器を生で聴いた。一度でいいからいつか聴いてみたいテルミンを探したがさすがにそこの博物館にはなかった。 
 浜松市では凧揚げ祭りが5月の連休中あるらしくその日は街をあげての盛大な催しであるそうな。祭りが近い日だからか、散歩途中、ハッピ着た衆が、どこかしこ交差点や集会所で集まっているのを見かけた。大人のお腹や胴体ぐらいの凧を大事に抱えいた。楽器のように大事に凧を抱えていた。地区地区それぞれの独自のデザインがあり祭り当日は遠州灘の強風のなかの海辺で一斉に凧を揚げ、ぶつけ合うのだそうな。いわゆる喧嘩だこ。空中で繰り広げられる空に舞う凧がどれ程のものか、どんな様子か?、思い浮かべるとなんだかワクワクする。祭りというと神輿や船や山車を思い浮かべるのだが、なるほど凧もあるのか、と、はじめて浜松に訪れ知った。商店の祭具店からこの音楽が流れていたのだが、うおぉスゲ!ヤバい!。鳥肌が立つぐらいそのリズムにびっくりした。こんなアレンジができるんだ。エッサホィサーエッサホイサーの肉声の掛け声のなかに、管楽器のラッパの音色が入り込む。こんな絶妙な取り合わせは今まで聴いたことがなかった。東京スカパラダイスオーケストラを是非浜松の街に呼んだらよいのではないか?、さすがだ!!楽器の街浜松。

http://m.youtube.com/watch?v=3Xj_dfC1njo&