ある雑誌、ひとつの記事を取り上げて。

原発に対抗する環境的生存権

 原発は,通常運転においても,人権と民主主義を侵害し破壊する.
 原発による低線量被曝の健康被害は,核兵器を使用したいために過小評価されてきた.
 その結果,おびただしい数の犠牲者が世界中に生まれている.
 「3.11」の経験を経た私たちは,原発そのものに対抗する新しい人権,
 環境的生存権を構想すべき時期にきている.




はじめに
 本稿では,原子力発電,核分裂エネルギーを利用して電気を得るという営み自体が,現代において私たちに保障された基本的人権を侵害する,という議論をする.原発は,事故が起きて初めて人権侵害を生むのではない.そうではなくて,平常運転そのものによって,人びとの基本的な人権を侵害せずには存在しえないということだ.

1 核の軍事利用と低線量被曝健康被害の否定
 アメリカは,1945年に原爆を完成させて日本に投下し,広島と長崎で何十万人という,ほとんどが非戦闘の市民を死亡させ,その何倍もの生存者を原爆症によって今日に至るまで苦しめてきた.
 原爆を兵器として利用したいアメリカ政府にとって「原爆によって死ぬべき人間は全員すでに死んだ,原爆によるその後の影響はまったくない」ということを「科学的事実」にすることが不可欠であった.*なぜなら,放射能による後遺症,いわゆる晩発性障害によって長期間にわたり多数の人びとが健康被害に苦しんでいる事実を認めると,核兵器国際法上の「非人道的兵器」として使用が禁止されるからだと指摘されている.
 実際には,非常に多くの原爆生存者が晩発性の健康被害に苦しめられてきた.その中には「ピカをまったく知らない人」,いわゆる「入市」被曝者も含まれている.放射性物質を体内に取り込んだことによる「内部被曝」をした人びとだ.しかしこれは,核兵器保有国にとって「不都合な真実」以外何ものでもない.ここに低線量内部被曝による健康被害を否定したい,否定しなければならない政治的理由が生まれる.そして「低線量内部被曝による健康被害」こそ,原発が引き起こす健康被害にほかならない.
 国連の安保理常任理事国である5大国(米,英,仏,露,中)は,すべて原発大国であるだけでなく,核兵器保有国でもある.そうだからこそ,国連機関や国連の息のかかった国際機関は,内部被曝の被害を過小評価する立場に立つことになる.国際保健機関(WHO)や「原子放射線の影響に関する国連科学員」(UNSCEAR)は,福島を「調査」して,原発事故による放射線で健康への悪影響は確認できないし,今後も起こることは予測できないと結論づけている.
 福島原発事故のあと,ドイツやイタリアが脱原発を国家政策として選択した.それができたのは,両国が核兵器保有国ではなかったからではないか.*
 日本も核兵器保有国ではない.しかし,アメリカの「核の傘下」に依存しているだけでなく,自ら核武装を志向する国である.「戦力の不保持」を定めた憲法9条のもとでも核兵器を持てるというのが政府の立場であり,原発を「潜在的核抑止力」とみなしている国である.*だから,晩発性健康被害を認めることはできない.
 その結果例えば,日本の行政府は原爆生存者に現実に生じている晩発性の健康被害について,内部被曝との関連を認めないという判断を取り続けている.それを被爆者が裁判で争い,行政府が連続して敗訴して,裁判所が「きちんと内部被曝を考慮し評価せよ」と行政府に命じる事態さえ生じている.*
 現在,憲法9条を改変して国防軍を創設し,個別的自衛権の範囲を越えて国際的な軍事行動を取れるようにすることが,政治的に追求されている.もし改憲され国防軍保有することになれば,「脱原発」という市民の願いを実現することは,現在以上に困難になるだろう.そしてもし日本が核兵器保有国の仲間入りをするようなことがあれば,脱原発は,核兵器保有国のアメリカやフランスやイギリスで原発をなくすことは不可能に近いほど難しいのと同じくらい難しくなるであろう.

2 低線量被曝健康被害の「事実」
 世界中で進められてきた核=原子力開発政策(核兵器の製造,世界的な核実験,原子力発電,事故など)によって,人類全体に夥しい数のがん死者,がんの発生,退治・子どもの死者が発生してきた.
 内部被曝を過小評価する国際放射線防護委員会(ICRP)による数字によってさえ,100万人以上ががんで死に,200万人以上にがんが発生しているという.それに批判的な欧州放射線リスク委員会(ECRR)の数字では,6000万人以上ががん死し,1億2000万人以上にがんが発生し,全人類の人口1割が「生命の質を喪失」したと評価している.(1)
 今回の福島原発事故によって大気中にまき散らされた放射能セシウム134,137),広島型原爆に換算して,その数百発分といわれている.したがって,まず広島・長崎の原爆生存者たちと同じ苦しみを,福島県を中心に数百倍の人びとが背負うことになるのではないかと心配される.さらに,もっと直接的に懸念されるのが,チェルノブイリ原発事故――福島原発事故を人類が経験した唯一の先行事例――によって旧ソ連地域で生じている健康被害と同様の被害が日本においても生じるのではないか,ということである.
 チェルノブイリ事故では,事故後5年たって通称「チェルノブイリ法」が成立した.チェルノブイリ法は,放射能による汚染の度合いに応じて四つの「ゾーン」を分類し,汚染の強い地域から「特別規制ゾーン」「移住の義務ゾーン」「移住の権利ゾーン」そして「モニタリング=放射能管理ゾーン」とした.
 年間の被曝量でいえば,5ミリシーベルト以上は「移住の義務」が生じ,1ミリから5ミリまでの地域では「移住の権利」が生じることになる.「移住の権利」とは,移住を選択した住民は移住にともなう費用や新しい住居を国から提供され,仕事の斡旋を受けられる権利である.「移住の権利ゾーン」と「モニタリング・ゾーン」が「低線量汚染地帯」と呼ばれる地域で,問題は,そこに住み続けている住民に生じている健康被害だ. 今回の3・11核事故による汚染を,チェルノブイリ法の基準によって評価すると,「移住の義務ゾーン」が福島県浜通り(太平洋側)から中通り(内陸)の一部に広がっている.「移住の権利ゾーン」にいたっては,福島県の大部分,そして宮城県と千葉県の一部まで広がっている.
 では,チェルノブイリ事故によって生じた「移住の権利ゾーン」でどのような健康障害が発生しているのであろうか.これは,そのまま福島県宮城県,北関東に住む何百万人もの人びとの今後を占うことでもある.
 上記したように,世界の大国政府,国際機関,そして日本政府は,低線量放射線被曝と健康被害の関連性を否定ないし過小評価している.国際原子力機関(IAEA)所属の委員会は1991年5月,チェルノブイリ事故からわずか6年後に,早くも次のような結論の報告をしている.「この事故による放射線の住民に対する影響は,今までも,これからも皆無であり,ソビエト国家の行った住民避難と制定された食料汚染基準といった予防対策は過剰であり,住民の間に不当な苦痛を与えた」.(2)日本政府はWHO,IAEA,被災3共和国の発表に基づき,2011年4月つまり3・11核事故の1ヶ月後から官邸ウェブサイト上に大要次のように掲載し続けている. 「チェルノブイリ事故では,原発作業員28人が急性放射線障害で死亡,24万人の事故後の清掃業従業員は,平均100ミリシーベルトの被曝で健康に影響はなかった.高線量汚染地住民27万人の被曝は50ミリシーベルト以上,低線量汚染地住民500万人の被曝は10〜20ミリシーベルトで,健康に影響は認められない.例外は小児甲状腺ガンで,6000人が手術を受け15人が亡くなった」(3)
 しかし,そのような各国政府や国際機関も否定することができないのは,低線量汚染地域で膨大な数の人びとに驚くべき健康障害が発生しているという事実そのものである.政府や国際機関は,それらの人びとを無視し,「棄民」することはできるだろう.しかし,その存在そのものを消すことは困難だ.
 最近になって,チェルノブイリ事故の被害実態を詳細に伝える調査報告書の翻訳書が,続々と出版されている.ここでは,2012年9月23日に放送されたNHK・ETV特集チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告(2)ウクライナは訴える」の書籍から一部を紹介したい.(4) 同取材班は2011年4月にウクライナ政府が発表した報告書『チェルノブイリ事故から25年――未来のための安全』の内容に衝撃を受け,同報告書を執筆した被災地の医師や住人たちを訪ねて取材したのである.
 同書によると,事故直後,原発周辺の高線量汚染地域(低線量地域でないことに注意が必要)から避難した被災者は,事故から2年後,67.6%が健康であったが,22年後にはそれが21.5%に減少した.逆に慢性疾患(がん以外の病気)を持つ人が,2年後の31.5%から,22年後の78.5%に増えている.疾患で圧倒的に多いのが,循環器系(心臓・血管)の病気だという.
 著者ら(取材班)が政府報告書で最も衝撃を受けたのが,低線量汚染地に住む子供たちの現在の健康状態に関して書かれた部分だったという.低線量汚染地で事故後に生まれ育った第2世代,約32万人の健康悪化が著しいことが報告されていたからである.
 慢性疾患を持つ第2世代は,事故から6年後の1992年には21.1%であった.それが22年後の2008年には78.2%に増えたという.具体的には,1992年と比較して内分泌系疾患が11.61倍,筋骨系疾患5.34倍,消化器系5.00倍 …… といった具合である.
 半信半疑で著者らは,「低線量汚染地」の町,コレステンの学校を訪問した.全員で18人の中学2年生のクラスで,「完全に健康」と答えたのは4人だけだった.保健室で見せられたデータによると,全校485人の生徒のうち,48.2%の生徒が内分泌系の疾患を抱え,肉体的障害が22.1%,目の障害が19.2%,呼吸器官障害が6.7%,消化器疾患と神経疾患が5%の生徒にあるのだという.正規の体育の授業を受けられるのは,全校でわずか14人だけ,事故後,9年生と最終学年の11年生以外の学生の生徒には,試験が廃止された.試験をすると,試験勉強で無理をして倒れる生徒が出るからだそうだ.

3 「暴力」としての原発
 原発は「核の平和利用」といわれているが,それには二重の意味で嘘がある.まず,そこでの「平和」は「戦争目的ではない」という限定された意味にすぎない.さらに,その意味で限定したとしても嘘である.原発政策を推進する政治的ねらいが,将来的な核武装に備える技術的能力の保持にあると多くの人によって指摘されている.それによれば,原発は「戦争目的である」ということになる.
 また原発は,すぐ後で述べるように,人権と民主主義を侵害・破壊することで初めて存在することができるものだ.そのようなものを平和的といえるだろうか.それを「平和利用」といって恥じないのは,平和という概念がただ単に「戦争にない状態」という消極的な意味で使われているからであろう.
 これに対して「平和学」という学問では,「平和」の概念は,単に戦争がない状態ではなく,人権や民主主義が保障されている状態と捉えられている.この積極的な意味での「平和」の反対概念は「戦争」ではなく「暴力」となる.さらに平和学では,暴力概念も固有な仕方で理解する.
「直接的暴力」「構造的暴力(直接的暴力を可能にしている制度)」「文化的暴力(直接的暴力や構造的暴力を支持・肯定する考え方や価値観)」である.
 そう考えると,原発は核の「平和」利用でも何でもなく,直接的,構造的,文化的,暴力のいずれにも該当する暴力そのものである.
 まず,直接的暴力としては,被曝による生命・健康の侵害がある.燃料のウラン鉱山労働者の被曝から始まり,原発施設労働者の被曝,そして原発周辺住民の被曝だ.*とくに原発施設で一般公衆の50倍(年間)の被曝を「許された」末端の労働者の被曝は深刻である