山本美香さんの一文から思ったことをメモする

 戦争は虚構であると聞いたことがあります。戦争社会へと人々を向かわせるために、事実と嘘の両方が混濁し、撹乱してしまう人々、その心理状態(恐怖、憎しみ、罪悪感情)にしていく。人間に対する信頼を喪失していく、人々はその辛苦な心理状態が日常に置かれ追い詰められていったとき、人々は「いっそのこと戦争であることのほうがより現実であり不安や苦しみを払拭する唯一の道なのではないのか!」という個人意識と共通理解が生まれる。正当化し美化されながらもう、後戻りはできなくなる。戦争へと導く人々の政治的心理は恐らくそのような作用が働く気がします。個人も国家も集団に対しても同じように働くような気がします。合目的に画策する直接の特定者も役が変わり、監督も、キャストも不在の状態にする。ただ人々は間接的に戦争世界に英雄の舞台として参加すれば、自然と戦争社会が出来上がっていくのだろう。と気がします。   昨今日本の現総理のツイッタのコメントを読みますと、そうした心理作用が強く働いている状態を感じます。自己や自分に関わる社会をなんら批判できずに、「強い者」への期待と彼らの意見に盲従している様子を感じます。とちょっと恐いですね。もし、もし仮に日本が、軍事政権を執ったとしても賛同或いは是認していく事も、つまり、今の総理のように軍の正当性と美意識そして(虚構→現実としてつくりあげた)社会環境(戦争社会)を継続的に宣伝し、思想的に叩き込んでいけば、数年前はまったく認められないでいた民意=公共の識(=wisdom)、個人の価値観もコロッと変わってしまう。それぐらいもろいものなのだ、と思います。戦争と政治的心理を巧妙に操作している者(=自己を排した不特定の演者)が、バーチャルと現実とを駆使しはじめられていく、のだと感じます。私さへも、知らず知らずに、そうした世界とつながっているかもしれないということ。先ず市場から親密に加担していき、反戦、良心、正当化しなくてもそれ自体で成立する哲学、道徳、精神を、変えていき、黙らせる努力を、今一生懸命やっているのだと思います。しかし、誰?とか、どこの国?とか、どこの人間?、というのではなく、主体や対象を排した世界観に生き(脱中心、脱責任、脱国家、脱法律、)で成り立つ社会や人々、そうした考え方に同意しそれと似た価値観を持つ人々です。似た価値観ですから私も時に、そうである時も、あった、ということです。そういう思想が酷く悪い意味で浸透しています。(ところで総理、いやどうせ読まないから現政を支持する皆さん、これについてどう感じ、どう考えてらっしゃいますか?これからの社会がそんなふうになっていって良いとお考えなのですか?、)と彼らに問いたい!


山本美香さんが伝えたかったこと

 『戦争は突然起きるわけではないと、私はいつも言っています。

必ず小さな芽があります。その芽を摘んでしまえばいいわけです。

そうすれば戦争は起こらないわけですから。

その芽を摘めるかどうかがすごく重要だと思います』
by 山本美香(『ザ・ミッション』)


彼女が亡くなったシリアへ日本人の意識を集中させ、この悲しいヒロインをひとつの英雄として仕立てあげれば多くの人々が軍隊駐留を支持しますでしょう。。そういう小さな画策を、小さな努力を遂行しようとする、素振りがもし微塵でもあるなら、オミットします。反戦というのは、戦がなければ必要ありません。反戦は正当防衛能力を無効にするから危険だ、という論調や考え方は確かに理解します。ですがそういう事態を、そういう社会環境をできるだけ限定的なものにしていかないといけない。と思います。アメリカの銃規制法の見直しが出来なかったのは、この考え方によってです。狩猟としてだけでなく武器となるほどの携帯銃も機関銃も簡単に売買ができることを規制する法律を、阻止したのは、狙われても防衛できない社会にしてくれるな。それが当たり前のアメリカ社会、それをそのままそっくりな論調を丸投げし、「戦争とは時に正当なものである。」と、主張しているのが、昨今の日本国内での風潮、メディアも政治家もよくします。彼女のこの一文をもう一度「読み」なおすべきではないだろうか、戦争と呼ぶ前の小さな燻りが致命的になる前に、私たちはなんとか一歩手前で踏み留まり対処することが、より一層大事なことのように思います。