世界に一つしかないばかばかしい理想法を守りたい。誇りをもって。

 世界に一つしかないばかばかしい理想法を守りたい。誇りをもって。(財部鳥子 詩人 ) 

憲法改正について(追記)

 いよいよ政府はこの程、本格的に憲法問題を議論し始めるもようですね。集団的自衛権から。毎日新聞でいましがた参議院各議員の個別アンケート記事を読みました。公明党の加憲支持を含めればきがきでありません。「私たち」もいよいよ始動しなければならない、と感じます。1957年に岸総理が憲法調査会を立ち上げ、長い間温存してきた自民党の念願の機で今はあるのでしょう。対し1958年に湯川秀樹博士をはじめとし憲法問題研究会を立ち上げ7年におよぶ憲法争議のすえ、現行憲法を死守した歴史があります。世界に通用する有識者と、既得権益を排しながら虚心の気持ちで純粋な見地でこの問題を考えることのできる私たちはこれから、動き出さなければならないと感じます。あんなどうしょもないでたらめな改正案は、私には劣化憲法です。まったく未来には通用しません。条文をひとつひとつ洗いだしオモテにだし、徹底的に批判するつもりです。ボランティア精神でこの憲法精神を死守するつもりです。

http://www.youtube.com/watch?v=eO1DtOueucU

 福島県南相馬出身の憲法学者鈴木安蔵さんが現行憲法のほとんどを創始したことを、ある人からこの映画を通して教えてくれました。その方は今、福島県二本松市で除染活動や反原発運動をされている。
 今の憲法GHQによって創らされた、そう、確かにそうだとしても、条文の中身は彼を中心に 日本人の手 によって書かれたのだ。と。
 これまでの私たちはぬくぬくとした憲法に健忘であったことを反省し、そうした態度を一掃し、より一層完成度の高いものにしていかなければならんだろ。と鈴木安蔵さんがそう申してるはず。そう、そう、信じて。





 現行憲法12条13条「公共の福祉」 Public welfer
を草案では「公益及び公の秩序」National interest
に書き換える。国家主義的様相を特化優先させるべく。多様な言論や文化を疲弊させる。価値の多様性を疲弊させる。基本的人権の上位の現行憲法の12条13条、脆弱させることの、)ひとつ言いたいことがある!)、戦争社会に導くためにはどうしても国民に周知していただくための、有事立法、海外派兵のために、今のエジプト、シリアに、送り込みたいがためだろう。韓国や中国とのドンパチに備えろ、とか安倍Facebookのアホコメディばっかりの意見もあるが、そんなんで先進国が紛争すると、本気で思ってるんだろか?、安倍総理さんとCIAとは連絡ツーカーなんだから。(まそんな嘘か本当かわからないことはどうでもいい。)7年前に憲法改正がとりだたされた時から、故、加藤周一さんは以下ように言ったがそのとおりになってるんじゃないのか。戦争に向かうための必要な条件とは、国家が戦争を思想的に正当化すること。国民を感情的に扇動させること。基本的人権を弱めさせること。
述べたことは極論で言っているのではない。結果論でも当然ない。そうした方向へ日本の政治が流れているということである。

http://www.youtube.com/watch?v=45Omx8sDP2c

続く4/7のレクチャでは今の96条改正問題についての鋭い切り口で示してくれている。
http://www.youtube.com/watch?v=qQkr_3oLw0Q
ヨーロッパで見られる改正は、現行より一層技術的完成度を高める方向で見直すケースだが、日本での今回の改正は様相が異なる、と指摘。現在の様子や背景は7年前とは違うが本質的には違わない。だが今もう、こうした公演のような見方考え方で批判できる頭は誰もいないだろう。全体の世論や風潮はまったく一変している。もし、もしも彼が今も生きていたなら、どう、、どうする?、どう動くか?、どう考え、どう応えるだろうか?今の日本には、硬学で語れる識者がいない。みんなどこかアッチにイッチャッテる。多数のマニアックな文化人、専門的になりすぎてワケがわからない。トンデモな話題や興味を惹かせるばかりの、もうあんまりだ。

自民党草案と現行憲法が分かりやすく比較し示している資料がある。
http://tcoj.blog.fc2.com/
公共の福祉でなく公益及び公の秩序へ文面を変更することについても記載されている。きちんと説明責任が成され納得のいく説明で理解できる。私のような素人の国民ならば。

厳密に精査でき司法の側からあらゆる状況を鑑みることのできる、素人には読めない点を専門的に洗い出すことは是が非でもやる必要がある。自分たち1人1人も安易に鵜呑みせず見守っていきたい、と自分は思う。憲法は社会的ルールだけでなく、こうした言葉が私たちの精神と生存するあらゆる場面において作用し働きかけ既定していくものだ。うるさいくらい気にかけてもまだまだ足りない。
いくつかの文面を読みながら、現代国家の基を、国家的自立を軸に、部分的に改変されている。懐古的精神やプラグマティズムの様相を感じる。西洋的哲学的基礎がなく構築がとても苦手な東洋の、とりわけ日本では、いたしかたがないか?国連憲章ジュネーブ条約やパリ条約もある程度知らないことには、国の憲法もある一面だけで納得していまうだろう。9条の改正も国際秩序に合わせたカタチで説明され、憲法25条の生存権で在外国民の保護の条項を新設し、イランイラク戦争のを根拠に海外派兵の正当性を暗黙の了解として綴っている。また、現行21条の、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」ではオゥム真理教の事件を挙げ、11条での公益及び公共の秩序についてと関連づけて、公共を害する事例として説明を加えている。(オゥム事件を表現の自由の項目に付随させること自体がまったく論外なのではないか。私はそう感じる。)11条自体は、人権天賦説のキリスト教的意識にそぐわないため、日本の民族歴史に育てられつくられた精神にそぐわないため、という抽象的方便で説明を加えている。(西洋にはない素質を私たちが持っている、その文化的精神的環境を具体的にしっかり纏めあげてこなかった努力のなさ、脆さを感じてしまった。)もっと文化的仕事にも努力を注がなければこんな薄っぺらな註釈しかできないわけだ。)

本当に自立した国家を目指していくとするなら、安全保障と対極に違った新たな平和保障も発明しなければならない。もっと言えば戦争は平和との対極にあることにこれからも留まれば不可能だ。その限りではないこと。人間の覇権や支配という欲望や経済的営利ばかり率先しているだけでは当選そんなことは不可能だ。そうした時代にきているから。地球や自然という環境に則り私たちは生存が保障されていること。
原発を挙げ、今農作物の遺伝子組み換えのお米がアメリカ市場に出回ってしまった。ウィルスや放射性核種と同じように根絶が不可能になってしまうことが現在進行中となってしまった。大変深刻な出来事が始まってしまっている。飼料から大地に種を撒く食料用種子にも、紛れ込んでしまっているかもしれない、という事態がアメリカで発覚した。
私たちの生存を保障するためには、平和とはなんなのか?生命を脅かすのは人間の手による戦争だけではないのだから。人間によって都合よく造られた「自然」が、いろいろなかたちで私たちの生存を脅かす事態が広がってきている。平和的側面をもっと広くとらえ、もっと根本から問い直しその経過をみていく必要がある。


先進国であっても日本は理屈や哲学が下手でも、理念に突き詰められがんじがらめにされず、あるがままの自然の智彗に躊躇うことなく同化できる素質、それを発揮する好機なのかもしれない。


膨大な情報から大事にしなければならないトピックを選び、考え、誰しもに向けて通用できる編集をまずは私もしていかないといけないだろう。前回の一件でそんなことを痛感した。反対賛成の袋小路ではなく、どちらに立っても本質的問題をオモテに出し、悶々とした某を解放できる、その筋道も示していくことができれば。
できなければそれまでだし、それも折り込み、普段のまま、開き直りと楽観、悪事に難事に動ぜず、あるがままになんとかする。

昔2001頃、バイト時代に家庭教や講師をした頃があった。よく中高生に訊かれたことがあった。なんで英語なんか、なんで数学なんか、なんで漢文や古典なんか、なんで歴史なんか、なんで科学なんか、なんで勉強しなくちゃならんの?、と。
いろいろに答えたが、最終の決め手は、
「自分が潰れないためにだよ。誰かや、何かによって自分が潰されないためにだよ。大人になる前に、大人社会はお互い、利用しあっているところがいっぱい、あるからな。」
そんな返答で本当に良かったのか悪かったのか判らない。だが自分は迷わずそう答えていた。自分の知らないテロや海外の戦争に悩んでいた頃だった。当時も今ほどひどくないが、特定の人とネットメールマガジンで意見交換を繰り広げていた。生徒にもアフガントラップ※について話しをし、何が善か悪かを話して聞かせたことがあった。生徒にはまったく夢も希望も、喜びも、ないような「冷たい」返し方ばかりだったが、そんな時期と今がひどくシンクロし、誰かが言っていたが確かに妄想狂のキライがある。自覚症状だ。考え込み最近仕事の失敗も多くて困ったものだ。
人や世間に潰されないために、教養は要る。(もっと良い答えかたあるのに、考えの浅い当時はそうとしか出来なかった。)
生徒の反応は「…無言…」となるか「いやあぁ、うざ!。大人になんかゼッタイ成りたくない。」となるかたいていどちらかだった。(素直だな本当に、素直だ。自分もそう有りたい。)
アフガントラップ※
http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~bessho/bessho/ChomshyUSkritik.htm



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話を一転。

国歌の作詞 不明、読人しらず(905年古今和歌集初出)

国歌の作曲 林廣守、奥好義、フランツ・エッケルト
http://www.youtube.com/watch?v=ndbfkpY0L4U

世界に通用する、音、楽、歌に思っている。イデオロギーは抜きにして、高い芸術性を聴いてかんじる。

日本の憲法を読んで、ジョン・レノンは絶賛したらしい。そして名曲イマジンができたと聞く。
憲法は文化にはならないし聖書やお経ではない。現実との乖離が確かにあるだろう。だが人類の、精神の、マスト、メイ、キャン、ウィル、その基の基を豊かに据えながら、無形でありながら、社会に実践的に機能してきたこと。

サンテグジュベリ、大事なものは決して見えないものだ → きっと失ってから、はじめてその大事さに気付き、後悔してももう遅いから、しっかり見届けていきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=TCBNF4_Zf9w

また再来週、ちょっと寝る。


なぜ?

なぜ?

1人五回毎日繰り返し、