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  ≡仏教美術辞典≡



 仏立像

グプタ時代、五世紀後期、マトゥラーで制作されたグプタ様式をそなえた仏立像。右腕と足先を欠失するほかほぼ完形に近い。半球形の肉髻をそなえた頭部には小粒の螺髪が並び、顔容は瞑想しているように穏やかである。通肩にまとった僧衣は身体に密着し、細い隆起線として表された衣文が、等間隔の平行線として全身に規則的に配されている。円形の頭光には、後頭部に表された開敷蓮華文を中心として、花列文、唐草文、連珠文、花網文などを同心円状に浮彫するなど、装飾性にあふれる。





 四門出遊

城の外に出かけた釈尊は、城の東門の外で老人、難病で病人、西門で死人に会い、人生の苦しみを知って思い悩む。そして、最後に北門から出かけた際、沙門(出家主義者)に出会い、出家への憧れを決定的なものとする。
この主題を表しているとされるレリーフや図柄はいくつもあるが、それと確定するのは難しく、馬に乗る太子とベッドに横たわる死者(または病人)を表した例がアジャンタ石窟寺院の浮き彫りや壁画の作例を見ることができる





 大猿本生

ガンガー河の岸辺にマンゴーの大木があり、そのとても甘く香りのよい実を猿の群れが食べていると、この果実を探して王国の一行がやってきた。マンゴーを独占しようとした王が従者に矢を放つように命じたので、ボス猿は向こう岸の木に跳躍し、つるを体に結んで再びもとの木に飛びうつり、体をいっぱいに伸ばしてようやく枝につかまることができた。猿たちはボスの背中を踏み、つるを伝って対岸に逃げたが、ボス猿は力つきて墜落しそうになった。王はその行為をみながら立派に思い助けた。
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パーリ文(ジャータカ)、サンスクリット文(ジャータカマーラー)の文献にある説話物語。もっとも世界に広く知られた仏教説話である。漢訳には、六度集経、菩薩本縁経、太子須大拏、説一切有部毘奈耶薬事、説一切有部毘奈耶破僧事、ほかがあり、チベット語その他にも訳されていて、枚挙にいとまがない。ジャータカを主題とする美術作品を総称して***本生図と呼ぶ。



 一角仙人本生

森に隠棲する仙人の尿を飲んだ牝鹿が頭に角がある男子を出産し、仙人は息子に角仙人と名付けた。やがて年老いた父は、息子に美女に近づかないようにと忠告して亡くなった。彼が厳しい苦行により神通力を身につけると、インドラ(帝釈天)は自らの地位を奪われるのを恐れて、アランプサーという天女に誘惑させることにした。女性を見たことがなかった青年は、天女に簡単に魅了され愛欲にふけったため、力を失ってしまった。しかし、父の言葉を思い出した彼は、再び修行生活に戻ることができた。角仙人は出家生活がいやになっている修行僧であり、その父親は釈迦であるという。
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ジャータカ(パーリ文)、マハーヴァストゥ、大智度論説一切有部毘奈耶破僧事、などの所謂、北方経典等は一角(または独角)仙人とし、南北両伝に含まれているだけでなく、マハーバーラタラーマーヤナにも同趣旨の説話が見られ、ジャイナ経にも類話がある。さらに、日本にも伝えられ、今昔物語集その他に収録され、謡曲、一角仙となり、歌舞伎、鳴神となった。

…つづく