美術対談(私vs父)

斜め向かいに座りふたりの交わす話しの中身は、美術評論オタクのあったまのわりぃコントに違いない。ほのぼの系で長生きしそうである。3月13日、父との対話をホイスレコーダーから書き起こす。


父)ほとんど黒と銀ぐらいだね。黒は水性ペンキ、このなかに痕跡が出てきたじゃん。この二年ほどほとんど全面黒いって感じ、こっちの部分に色見がでてきたの。痕跡の形がでてきてるもんでその部分の色見を消したの。そして一枚ものになるんだけど。
そしてこのなかに一二三四五、六、六個の体があってさ。それがここのなかに動いてきたのよ。そんでさ、平面をつくることを辞めたの、絵画のなかに平面を作ることを辞めたの。こういう痕跡のなかに平面性を求めなかったのよ。これは俺にとっては新しい仕事。


ん゛ん゙ーん(私は咳払い)
あのさ、グリンバーグって美術評論家、テヴォーっていう美術評論家とか、最近読みたいなって思ってて、ちょっといい。ユリイカでセザンヌさ。(その本を持ち出し文章を探す)
父)名前は聞いたことあるなぁ。今の論はおもしろくないのよ。過去の人のほうがおもしろいわ。

私)あぁでも、セザンヌの疑惑の、メルロ・ポンティもでてくるよ。……、「モダニズムのもとで絵画芸術は自己を批判し定義していく過程にとって、何よりも根本的なことは、表面の不可避の平面性を強調することだった、平面性のみが絵画にとってユニークで独占的なものであったからである」「世界はその表面を、その皮膚を剥がれた。そして皮膚は、絵画の平面性において平に広げた。絵画芸術は視覚的に立証できるものに自己を限定したのである。」ここらへんはわかるんだけど、セザンヌ絵画から現代絵画をどう捉えるかってことで、で、すごくびっくりして、おもしろかった「ミシェル・テヴォーがはっきりと次のように述べている。セザンヌといえば、構築性、モニュメンタリティ、構造地質学的厳密さ、円錐形や三角形や球による配置などについて私たちはかたり、彼を印象派の画家たちに対立させるのが通例である、しかし美術史のこの紋切り型は吟味に耐えうるものではない、と。かくして前景化されるのは、中心の脱落、爆破した表面、カオス的なタッチに砕け散った輪郭、解体されて相互に浸透しあう形態。といった特徴、個々の物は、その固有の存在によってではなく、ネガとして、つまり、それではないものも全体、それが否定するもの、隣接する諸々の事物へと送り返されるアレルギー反応によって、水平的で逃走的なファシナシオン魅惑のために次々と連続的に脱中心化する眼差し」、であと云々、精神分析の話しになるんだけど……。ど……。なんとなくさ。日本人ってこういうことを好むんだ。とおもうんだけどね。そういうものを日本人がちょっとお気に入りの文脈を紹介し抜粋してるで、なんだかね。そんなあっちの考えをすぐに近親相姦、大流行りしてるからね。

父)そのへんの言葉をさ、その辺と、おまえはセザンヌの作品のこととはどうなんだ?。

私)なんだかね、なんていう作品名か忘れたけど、花をモチーフにした水彩画であるんだけど、ものすごく親しみがわいたな、展覧会で観てね。小学生のころ描いた朝顔とおんなじだな(笑って。上手い下手は別にして。絵の具ののせかたがさ、すごく油絵の、例えば、父が椅子に座って新聞を読んでる作品、あぁゆうのと違ってすごく、言っていいのかわからないけど日本的なものを覚えた。

父)あぁ 、 塗り残しの水彩画か、そうか。

私)でね、この「ネガ」っての、うぅよくわからない。

父)だから、その言葉だけであれするとさ。例えばここに紙があるじゃんか。ここ、(ラフ、ベニヤ板をコンコン叩く)描かれた面があるじゃんか、色だけ見ると例えば白と黒と、いままではさ、みんな色としてさあ、ところがここに、セザンヌであろうと、お前であろうと、作品のここに、キャンパスがあって絵の具の塊があって筆跡があって、一方で山や風景があったりラフがあったりとさ、それの、ネガっていう言葉で言ってるんでしょ。要するに色や形だけでなくって、もうひとつ別なところで紙であったり鉛筆であったり、とくにセザンヌは、こういう重なり(手のひらを合わせる)でなくって、ずれてたりとかさ隙間があったりしてるじゃんか、(手の指で重ね、網目をつくる)こういう重なり、
そこだけ見ちゃうと絵の具の物的な、だけど実際は風景から見るとこっちはネガ、逆にこちらから見るとネガっていうかさ。言葉でなんていうか、この違い、アンバランスのなかでやりとりをしている。で、今まではさ。平面に全部くっつけていってきたからさ、あるいは全部ネガだったのかもしれないな。で平面をつくることに、やってきたんだけどセザンヌの場合には、そこに紙であったり絵の具であったりとかがさ。それを現代絵画がコラージュとかフロッタージュとかそういう方法が同じように今でも絵画はその平面で読むんだけど。この人(評論家)がセザンヌの絵のなかにそうした構造があったということを評論の視点から言うと、でも、お前も絵をやってるんだから、セザンヌがそういう見方をした絵画性があったということを。絵画は平面をつくることだけじゃなくてもうひとつそこに別なものが加わったことを見ないと。製作をやっている側から、そこを見なきゃいけないよね。キャンパスの地が出ていたり、絵の具の塊がのっていたり、染みてたり、とかさ、そういうものを彼の絵の中にあるということを、読みとれると思う。この読みじゃなくてもひとつ読みとれると思う、今までの絵画の平面をもうひとつ豊かにした場所として キャンバスをそのまま置く という、ね。


私)また、別の見方もある気がするけどね。ただもう、あっちの受け売りをわかったようにさ。頭でばかり、何も無いから本の評から"ま"に受けて。コップの水をあちらからこちらへちょっと色つけてうつしかえなんばっかり。自分で考えろ、自分から考えろ、自分で言葉にしろ、と言いたくなるわ。

父)あぁ、だから自分で見なきゃいけないね。嶋本氏もそうだけど、何回言っても、やっても、自分でその作品みようとしないのよ。みるとさ言葉になっちゃうからさ、当然彼らがやってきたことってのは言語に、させない、そこなんだろうけど、それではでも弱いね。(父は先達亡くなられた、美術作家の嶋本昭三さんのお別れ会に出席し、その帰りに私の宅に寄ったのだった。)

その話しはもういいよ、まぁ、、無私性、対象喪失とか近いニュアンスが、なんかがすごく絵でも、時代の意識にかなり強くのぼってきているのかな。って、文学でもところがなんかあってね。中心を失うってのはなんなんだ?空間を平坦化させる、そういうところへ……、
はっ、そうじゃないぞ。(父はつかさず口を挿む)、空間を平坦化…、そうじゃなくって、遠近法ひとつとってもな、立体物を平面化させるというよりも、平面に立体物を載せるための方法論だからね。

あぁ逆なんだ。

そうだから、その以後どんどん平面性という問題が出てくるんだけど、考えてみたらそういうことによって視覚という場所が顔を出してきたということ。だから西洋では最初、風景もほとんどなかったじゃんか。人物の物語のそういうはなしでさ。それが風景も画面に載し得たのが遠近法よ。これを出すためという発想ではなくて(机のカップを指さしながら)、こういう風景が(部屋全体を両手で示すような仕草をしながら)空間が平面になし得ることができたのが遠近法なんだけど。だから、ちょっとちがう、あくまで西洋でのはなし。

ルソーとか、

アンリルソー?

私)そう、なんかなんにも遠近間がないじゃん。あれっていうのはそういう遠近画法について何か違和感があってわざとそうしているのか?と思うけど。

父)あぁ、あぁ、だから彼は、なんちゅうの…なんだろう子供であろうと、「トン、トン、トン」(煙草の箱を持ち、ちゃぶ台を叩く。違った場所を叩きそれぞれの距離や配置を示す。)要するにこれを可能にしているわな、彼は。(上手く言葉にできないでいる父。)
あぁ(わからないことに生返事する)

父)絵画が遠近法だとかビジュアルだとかなんとか言って、だけど、それへの実際に面をつくるという方向に行ってしまったことは事実なのよ。だから風景がなくって、さっきの、あぁモンドリアンの話しじゃないけど、さんざん樹をデッサンして、あぁいった線とのやりとりだけになっていくわ。それを彼の抽象の始まりとしていいかは知らないに、おらぁ。でもなんでそこに引っ張られて行ったかというとき、ベースが平面であるからということ。だから空間を平面にのせるというのに人間は何をやってきたのか、例えばエジプト壁画なんかみるとそこに物語とか、面、要するにその中で記号のやりとりをしているじないか。………だから西洋の場合には平面を塗るという底辺ががあって、線をひくということじゃないのよ。だから俺は、先生*1の言う“絵画の線”という事じたいが、絵画じゃないのよ、西洋絵画の流れから言うと、面なのよ。要するにそこに線をひく、日本人が線をひくということが何なのか。これ、これはさ、あの人の言う親鸞の話しじゃない、そんなふうに解釈していいわけじゃないはずだけれど、特に西洋の流れで線が出てくるのはある意味じゃ不可能に近い、線でも面を持っている線。だからそういうなかで吉原*2の最初の作品の筆跡が出てくるのは線であっても面を持たないのよ。そこにいろんな問題が出てくるし、おもしろいっちゃおもしろいんだけれど。

(*1)画家遠藤剛熈、絵の先生として筆者が教わっている人物。
(*2)吉原治朗、60年代、日本での現代美術が世界的に注目された一時期、具体美術という作家集団の創始者。父は直接彼とは親交はないものの、その後継者との交流が当の作家活動に大きな影響を与え続けている。嶋本昭三氏もそのひとりだった。

…つづく。