ニルバーナと尾形亀之助とパティスミス、*3/8-9殴り書き

Aneurysm
http://www.youtube.com/watch?v=SOrmjhWpPrY

Lithium
http://www.youtube.com/watch?v=jSy3UvVwQ8g

いいなニルバーナ音量全壊で聴いてる






辛気くさい
一生を送って
珍作詩を、
こんなふうに
ひょいと日に日に
日にちょいちょい
記せたらどんなに素敵か

たんたんと余生を綴り
ながら読む詩も

ったく羨ましい限りだ。
詩人、尾形亀之助

うつらうつらと
読んでいた。


ニルバーナ×三
モテメン尾形と共に
静かな夜を聞き流す



『十一月の晴れた十一時頃』

じつと

私をみつめた眼を見ました
いつか路を曲がらうとしたとき

突きあたりさうになつた少女の

ちよつとだけではあつたが

私の眼をのぞきこんだ眼です

私は 今日も眼を求めてゐた

十一月の晴れわたつた十一時頃の

室に

風は

いつぺんに十人の女に恋することが出来る

男はとても風にはかなはない

夕方

やはらかいショールに埋づめた彼女の頬を風がなでてゐた

そして 生垣の路を彼女はつつましく歩いていつた

そして 又

路を曲ると風が何か彼女にささやいた

ああ 俺はそこに彼女のにつこり微笑したのを見たのだ

風は

彼女の化粧するまを白粉をこぼしたり

耳に垂れたほつれ毛をくはへたりする

風は

彼女の手袋の織目から美しい手をのぞきこんだりする

そして 風は

私の書斎の窓をたたいて笑つたりするのです




『ある男の日記』


妻をめとればおとなしくなる――

私は きげんのよい蝿にとりまかれて

昼飯の最中です

昼 床にゐる

今日は少し熱があります

ちよつと風邪きみなのでせう

明るい二階に

昼すぎまで寝て居りました

少女の頬のぬくみは

この床のぬくみに似てゐるのかしら

私は やはらかいぬくみの中に体をよこたへて

魚のように夢を見てゐました

「化粧には松の花粉がよい
百合の花のをしべを少し唇にぬつてごらんなさい」 と

そして

私はちかく坐る少女を夢みてぼんやりしてゐる

ぬるい昼の部屋は窓から明りをすすつて

私のかるい頭痛は静かに額に手をのせる







THE LOVECRAFTER

わたし自身であるあなたが
少し前屈みになって口笛を吹き
革の袋をかついで茶色い膝丈のズボンをはき
むき出しの荒野を闊歩するのが見えた

長く乾いた夏の骨格をし
歩み入るわたしたちの喜ばしき日
午後の半ば長き夜に
帽子もかぶらずほがらかに歩みゆく

生霊となって嘆くあなたが見えた
古代の者たちの炎をかき立てよ
文字を書く果汁のための
梨やサンザシの小枝でかき傷を作りながら

あなたが山野を歩き回るのが見えた
天 帝 プロヴィデンス の指ほどに長く
わたしたちが丘と呼ぶ丘陵ほどに遠く
粘板岩の心臓をそいだ山肌

あなたが袋に突っ込んで
芽が出そうなところに種をまくのが見えた
きこりがオークの灰やさまざまな松をくぐり抜け
道を切り開いていくように

木の話を語るひとつづりを
映し出すであろう書き物机のために
すべての素面の望みはその中に求められ
すべての酩酊は聖なる泳ぎのよう

わたしはその本が棚にあるのを目にし
わたし自身であるあなたを見た
ついに空となった袋を目にして
あなたの影が投げかけられた枝を見た


東玲子 訳


音が聴こえてこない文字が横一列に並んでいた、年老いた者や若者も子供らも封じ込められていた、人々はみな階の屋上へと駆け上る、逃げるように生活から、そう、逃げるように外へでようと、変わりばえのしないジェイルズル_ームのなかを陽が射す、寝覚めた眼をこすり一条の光る文字の、格子面が色とりどりに嵌めこまれたステンドグラスを囲う、ジェィルズル_ームの孤児院ミサで、弾くであろう優さん。

「あれぇ?生きとったんや〜」。「ワリカッタなぁ〜生きとって…」。俗離れがきれんから葡萄酒焼酎酌み交わすならわしだ。

にこやかに手をふり、別ち、川をづたいシュリンクスを吹き鳴らす、静かな階を色とりどりに、川瀬に吹く風もろともいやに生暖かだが、どっこへいったかお馴染みは、どこをほっつき野垂れんでるのだろうか?、過ぎ去りし春一番を顎にのせ土手を駆け上がる。ジュエルのめくるめく点滅信号機、こじ開けた酒栓を封じ、胃液を吐き捨て、路中を歩き、いまだに守銭奴・溺酒にすがる、どぶねずこう。

頭がどんどん悪くなる

人相もどんどん悪くなる

体はどんどん鈍くなる

学もどんどん鈍くなる

呑吐(どんと)回りが早くなる

歳がどんどん鈍くなる

時がどんどん早遅れる

萎んで枯れる顔の膨らみ

土手で大の字に仰ぐ曇天

どんどん流れる

耳障りに韻を踏む、

脈動する血が、

頭部のまわりを、

どんどん流れる


起き上がりこぼしたよだれを拭い天頂をかすかにさざめく星たちのダイオード、光害からより遠く離れて頭上の真中にまたたいていたのさ、猫の額の広さにうんざりするくらい光害スモッグ黄砂が周囲を覆い、天頂から数えて東へ55'近くに赤く見せるマースさへ黄色く調子つく、恒星と同じに地球圏内では同じ域のむじなだ、落ち着かないまままたたちて、あとは北斗七星のおおぐま座ぐらいしかめぼしいものがみつからない、疲れた首が欠伸をする

動物と植物とが天と地とをばっこする者たちの、その手に牽かれる牛、捕らわれる額の真中を、屠殺者が引き金を引く、食肉牛のくり貫いた眼球を剃刀で輪切りにして、硝子に貼りつけ、眼玉の構造を子らに見せて教育している弟が、

演技のしつけ、台本の選定に忙しい、とフェイスブック、現在の近況時をメカがメカで知らせるばかりなネット相が嘘臭くて、いやはやネットのドツボにはまり、ありとあらゆる人・類・種のるつぼであってもたから何ん何だというのか?/過去五百年間を跨ぎ/すべてのメディア情報(だとかいう呼び名)が一年に飛び交うという・・嘘くさく馬鹿げた劣化文に貶められた・も矢筈折る手近なデジカメバキバキのバカチョンのだれでもオキレイに録れる日本ご御用達の、人と人との情の報い、短絡な示しを召喚し顔無し脱身体ゴーストのパトスが侵す、分割脳内セカンドライフ


対置させ二重に相殺するありとあらゆる危うさを
←・→
綱引きしているからもうひとつ違った綱をここに接続させる

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 ・
/ \

引き絞りの(点と線とがまだまだこれではズレてるが)二次元三次元のスペースのどこかの焦点を見付ける事、その事が必須ひとつの大事な支柱(足場)となるだろう、にちがいないのである。わっかりやすいけどなかなかどうして持説(なにいってんだろ、携帯ネットモードへイデア出であメモモ。。)美術評のグリーンバーグの示す脱中心みたいな日本古来でもお染みおお流行りだが、マッスのデッサンを通らぬ日本好みのセザンヌ絵画で、ことばを意味論解釈してる屁理屈場のなかで当て嵌めた父親が求めるアンフォルメル絵画、、世界異文化の対位法(E・W サイード)が読み解かれない限り・・・、シュールもアレゴリも一足とびしながら、お家芸の箱庭で、悶々と訳わからね理屈を張り、現代アートもおお流行り。

詩も絵もそれではやれぬわ。

父が来週家にくるらしいけど、こんどこそ奴の口をねじ曲げる、つもりの慣わし。父との対話、いつか記録したい。父との対話が私にとって一番、楽しい。


終わり。