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原発について年始早々、どうか…と思うが、つましい、けわしい道程に居るはずなのだが“なんちゃって選挙に”また騙され、君臨する彼ら政府首脳、なんでこんなに阿呆なんだろうか?俺たちは。目先の経済安心安全の選挙演説たぶらかしにまんまとのせられた気がしています。
歴史が判断を生むのではなく、判断が歴史を生むのだ ガエタン・ピコン
判断という一般的概念は…現在何が起こっているのか?という出来事をきちんと問題として確かめるものなのだから。それをある程度しているかのように我々は錯覚しています。まったく太刀打ちできない事故を、たとえ小さい判断であっても...
ある一人の原発技術者の手記を紹介します。平井憲夫さん。フクシマ原発事故の前に、1997年亡くなられた方です。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
どうか読んでください。m(_ _)m
数十年数百年今後、抱えなくてはいけない重大な問題を、人文、哲学、倫理、あらゆる知恵を託し、それぞれこれからどう未来を読むべきか?カタチつくっていくか?。重大課題です。
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識量は知識と自(おのず)から別なり。知識は外に存(あ)りて、識量は内に在り。
識量 = 識見・度量・智慧(wisdom)。知識(knowledge)
吉田松陰は「講孟余話」の冒頭に次のように述べている。
「経書を読むの第一義は、聖賢に阿(おもね)らぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば、道明かならず、学ぶとも益なくして害あり。」
学に志すものは如何なる書にも溺れないことが肝要である。
凡(およ)そ教(おしえ)は外よりして入(い)り、工夫は内より出(い)づ。内よりして出づるは、必ず諸(こ)れを外に験(ため)し、外よりして入るは、当に諸れを内に原(たず)ぬべし。
人は当に往時に経歴せし事迹(じせき)を追思すべし。-/-然らずして徒璽(とじ)に汲汲営営として、前途を算(かぞ)え、来日を計るとも、亦何の益か之れ有らむ。-/-
人は自分の経験したことを思い返すべきである。そうでなく徒にあくせくして先のことを考えても益はない。
「言志四録」から抜粋
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「詩を読むとは私がぶつかる事の体験デアル
詩を書くとはぶつける対象に宛てる行為デアル」。
絵もそれに準拠するだろう。
などという呪文的閃きを、もしくはその発想を、延展するべく、だから何なんだ?と、イマイマ考え中、考え中
絵的な切り貼り
マインドソウルスビリツハート
それらの奏でる疑似的黙示
脱字演技の肉体
それらの殺がれたミテクレ人形
強弁に誇示する虐げ
恣意的、示威の、
ドグマのシーク
それらの飼育されたアプリオリ
自動思考は夢のはじまり
無思想という思想
意識の及ばぬ範囲に収斂する
それら安穏とした日和見
それはみな狂気とも、呼べる
(即興文)<<<<<<<<<巳<<<<<<<<<
入り混じり割られる虹虹
]
仲睦まじく番呑む白子蛇
▲双頭の蛇をした胸飾り▲
トルコ石のモザイク ミステカ芸術「マヤの三つの太陽 M.A.アストゥリアス」
(叢書 創造の小路)
◇◆◆◇年賀状発送中◆◇◇◆
読者の方で欲しいかた送りまぁす。着予定は小正月ぐらいになると思います。
ブログ作者GENKOUのメールアドレスは此方(でした。)
yupnfbpkizs0kbxpwdfb@docomo.ne.jp
m(__)mこんなんでよろしければ、
宛名住所ご連絡くだされば、って無理か。
ともかくそれは無理でも今年は自分の肉筆で製作したものを、時々アップしようと思うに至った。
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