fela kuti

フェミ  わかったよ 。私に限らず、ナイジェリアの多くの若者たちが、あなたが歌い続けてきたこと、つまり汚職や新植民地なんかが実際に存在しているということを理解していると思うんだけど

フェラ  確かに当時の状況は今ほど明白ではなかった。俺が歌ってきたことを今日の人々のほうが強く感じていることだろう。だがたとえ人々が気づかなかったとしても。二十年前からすでに存在していたんだ・・・・ 俺はまず人々にこう尋ねることにしている。我々は今までのあいだ、いわゆる政府、あるいはいわゆる進歩と呼ばれるものから何を得ることができたのだろう? 俺は何の利益を見出すことができない。黒人の置かれている状況は、イギリスにおいてもアメリカにおいても変わりはしなかった。そしてアフリカの状況は確かに当時の状況は今ほど明白ではなかった。俺が歌ってきたことを今日の人々のほうが強く感じていることだろう。だがたとえ人々が気づかなかったとしても。二十年前からすでに存在していたんだ・・・・ 俺はまず人々にこう尋ねることにしている。我々は今までのあいだ、いわゆる政府、あるいはいわゆる進歩と呼ばれるものから何を得ることができたのだろう? 俺は何の利益を見出すことができない。黒人の置かれている状況は、イギリスにおいてもアメリカにおいても変わりはしなかった。そしてアフリカの状況は最悪だ。それもこれも白人の政治的陰謀のためなのだ。
 ビル・クリントン率いるアメリカ政府は我々にむかってこう叫ぶ。「お前たちに必要なのは民主主義だ!」。どうしてアメリカが、大英帝国が、つまり白人たちがアフリカに対して民主的になれなどと言うことができよう。政府を維持するための武器なくしては、民主主義など存在することはできないだろう(笑)わかるかい?いいかクリントン自身が軍の最高司令官なんだ。この場合それは軍事政府というべきであろう。やつらは自分のやり口を隠しているんだ。おれはそれをデモクラシーならぬ「デモ・クレイジー」と呼んでいる。
 アメリカやイギリス人たちの「デモ・クレイジー」に参加させるためには、投票することに意味を理解させるために人々が識字化される必要がある。ところがナイジェリアにおける就学率は10パーセントか20パーセントといったところだ。ここでは何かがうまくいっていない。このシステムでは同じところを回っている。毎年みな、おなじことを繰り返しているんだ。そしてこのシステムは同じところを回りながら、人々の頭をバンと殴りつけていくんだ。
 知ってるかい?アメリカ人ならばここラゴスへやってきて 俺に1ドル50セントのギャラで演奏してくれって言いかねないぜ。今日ある友人に言われたんだがフランス文化センターが4500ナイラのギャラで俺に演奏を申し込んできたそうだ。彼はそのフランス人どもにギャラが安すぎるって言ってやったんだが、奴らは、ほかのバンドは演奏させてくれと頼み込んでくるよ、と答えたそうだ。4500ナイラは500ドルの値打ちもないんだ。フランスでは、16人のミュージシャンを抱えるアーティストに500ドルをはらうっていうのだろうか?これが、フランス政府がここの人間に払う金だ。やつらのやり口がわかるかい?だがここではこの額にも喜んでとびつく。ここの人間にとって1ナイラは1ドルの価値にも等しいのだから。彼らは状況を真に理解できないでいるんだ。
 
フェミ そうやって西洋人は我々の資源を安く買い叩くことができるんだね。
 
フェラ その通り!これが白人たちのが唱えるデモクレージイの陰謀なんだ。それは平価切下げと呼ばれている。俺が「石油を所有しているのは私だ」というと、奴らはこう答えるのさ。「いやあなた方の通貨は一ドルの価値もない。八分の一ドルの価値しかないのですよ」
俺はこういってやりたい。ちょっと待った!兄弟よ 石油は石油だろう。俺の石油の価値は切り下げられてはいないだろうが えっ?
 奴らは俺たちの通貨の為替レートがとても低いというけれど、この国で産出される原油はいつだって最高の質を誇っているんだ。奴らの陰謀がよくわかるだろう。これがデモ・クレイジーなのさ。やつらはがやってきて、俺たちにデモ・クレイジーこそ最高のものだという。だがここナイジェリアでも、軍の最高司令官が大統領になっている。・・・・・
 俺のように政治的前衛、言ってみれば民主主義のアヴァンギャルドであった人間にとって、何かのきっかけで目が見開かれたとき、あるいは誰かに「おい、見ろよ フェラ!これは公正ではないぜ」と言われたとき、おれは決まってこういうんだ、「なんてこった!今まで俺は民衆のために戦い人生をささげてきたというのに、結果として白人のためにたたかってきたことになるのか!」結局今でもここに戻ってきてくるんだ。

フェミ それがあなたの結論なの?

フェラ いやそこにもどってくるというだけで、それが結論ではない。今世界中を見わたしてみてくれ。革命について語っている人物がいたら名前をあげてくれないか?イギリスで革命に身を捧げている黒人が誰一人いるかい?誰でもいいから。さあ言ってくれ (彼はここで言葉を切り、考えている私を観察する)時間を浪費する必要はない、誰もいないんだから。どこにも誰一人としていやしない。アメリカにだってマルコムXがいただけだ。

フェミ 1970年代は偉大な年代だった。黒人が革命について真剣に語った最後の年代だった。

フェラ そう!今では俺たちは死ぬしかないわけだ、そういいたいのか?

フェミ いや、そうではないのだけれど今は事態はより複雑になってきている。平和維持の方法があまりに複雑化してきているのだから、最早その中で目標をみいだすことができないんだ。人々はかつてのような反逆心を抱かなくなってきている。60年代、70年代にはまだ政府またはシステムを作り上げては・・・

フェラ おい、おい! 俺たちはまだ完全には混乱されてはいないのかい?

フェミ まだ完全には。

フェラ ああ!でも俺には混乱されているぜ。じゃあ もう戦う理由もないわけかい?
フェミ 今は戦うことがより困難になっている。これからさらに困難になってゆくと思う。
なぜならつまり……。

フェラ なぜだい?言ってみてくれ、どうしてだ? 新聞は存在しているだろう?

フェミ …… つまり システム全体のことを問題にしているんだ。わたしがこの長いすに座ってあなたを待っているあいだ みな衛生チャンネルでアメリカ映画を見ていたんだけど…

フェラ じゃあおまえは、テレヴィを放映していたら革命を叫ぶことができないっていうのかい?

フェミ できると思う?

フェラ もちろんだ

フェミ それには他の戦略が必要なのでは…

フェラ 問題なのは戦略ではない! 誰も何もしない、それが問題なのだ! いったい誰がなにをした? 誰もいない。かつて俺たちは敗北したのだろうか?俺はそうは思わない。いいかい、偶然なんてないんだ。世界は偶然の産物ではない。いま、俺たちの手で、俺たちを見つけださなければいけないんだ。さもなければ、この国もアフリカもネガティブな力が人間の心を支配することになるだろう。
****
「もし我々が洗脳されなかったなら、アフリカ大陸を指すときに用いられる暗黒大陸第三世界、発展途上といった横柄な言葉が、じつは常に奴隷であることを理解させるための手段であることがわかるだろう。新植民地主義が常に我々の脳裏につきまとうのだ。これに対抗する方法がひとつある。昔のアフリカの思想に耳を傾けるのだ『どこから来たのかがわからなければ、どこにいくのか決してわかりはしない。』アフリカの硬学派たちが、アフリカ人の視点から、アフリカ大衆のためにアフリカ独自の歴史を解釈したときこそ、アフリカは真の歴史をもつことができるだろう。我々の歴史はかつての植民地主義者の視点から語られているため、多くの黒人たちが自分自身に対してネガティブなイメージを抱いてしまい、自分たちの文化遺産を低く評価してしまうのだ。何千人もの黒人男女が肌の色を薄めたり、髪の毛のちぢれを伸ばしたりして、白人に近づこうとしているありさまだ。」
 次の質問に移ってくれ

フェミ あなたの音楽には、常に何か別の方向性が示されていると感じているんだけれど。例えば政治は発展のための唯一の方法ではないといっているよね。

フェラ なんだって?

フェミ あなたが言ったことにもう一度立ち戻りたいんだ。もし政治だけを信望すれば他のすべての道を、すべての可能性を無視してしまうことになる、デモクレイジーのみを信望していたら……と

フェラ 俺はそんなことは言っていない!

フェミ ああ、でもあなたの言葉にそれを読み取ったんだ。つまり、デモクレイジー以外の方法がたくさんあるということを。

フェラ そう、我々の世界は偶然の産物ではないとみなすことはできる。さあつづけて。

フェミ オーケー、ひとつ質問があるのだけれど。あなたの曲のなかでヨーロッパ人がやってくるまえのアフリカについて言及してたよね。かつては独自の法があり、社会秩序があったと。どうしてそれが、つまりアフリカの宗教と呼んでいる基本的要素が、奴隷船貿易によって世界の彼方まで広がったというのに、非アフリカ人にさげすまれ、アフリカ人自身にさえ恐れられるようになってしまったのか? もし何らかの方法があれば……。

フェラ そんな方法など、もはや存在しない。言っておきたいことがある。実はここでは言わずにおこうと思っていたんだが……。その時期ではないとおもっていたんだ。だが我々の住む世界は偶然の産物ではない。白人は科学をもたらし、恐竜のいた年代まで割り出している。ケニアかどこかで発見された猿(先行人類)のいた年代まで割り出している。ああすばらしき科学!だがな、言っておくが、それらの種はもう絶滅したんだ、恐竜をはじめとして、その他多くの種が地上から消えてしまったとしたら、どうして白人たちはライオンや虎の心配をするんだ? 恐らく、この動物たちに絶滅の危機の順番がまわってきただけなんだろう。奴らは動物を救えと叫んでいる。だが、それもごく最近になってからのことだ。アフリカ人は実に長いあいだ動物とともに暮らしてきたけれど、彼らの心配などしたことがない。そういうものなんだ。自然とは自律的なものなんだ。白人がくるまえは、アフリカにあのいまいましい動物園は存在しなかった。動物園を建てたのは奴らだ。それなのに今になって、動物は閉じ込めるべきではないときたもんだ。
 よく理解する必要がある。これは白人の問題であってアフリカ人には何の関係もないことだ。砂漠に行って古い骨を捜して喜んでいるようなアフリカ人にはあったためしがない。
だいいち、われわれにはそんなことに費やすための金はないんだ!奴らは、世界は偶然の産物だと信じている。科学は我々にそれを信じ込ませようとする。だがいま我々は生きるために最善の方法を見つけなければならないんだ。世界を本来の姿から遠ざけているのは、科学にほかならない。すべてがひっくり返ってしまった。
 (長い沈黙)
ある日、アメリカツアーの最中に月を見たことがある。そのとき、我々は白いバスに乗っていた。俺は同行していたツアー企画者に向かってこう言った。「ジャック あの月を見てくれ。科学によれば月の光は太陽の光が反射しているってことだが…じゃあいったい、あの半月では何が起こっているのか言ってくれ」。すると彼は答えた「ああ、答える前にちょっと考えさせてくれないか」。俺は「おい、おい」と言ってやったよ。
 ではいったいそいつの答えたがっていた「科学的論拠」とよばれるものにはどんな真理が含まれているのだろう。奴らは月の表面にまで到達したという。だが俺に言わせればどこにも行きはしなかったんだ。テレヴィ・マスメディア、政府を牛耳るやつらが人々に信じさせたいというのなら 勝手にしやがれだ!
 (長い沈黙)
お前は土曜日にここにいたのか?

フェミ いいや。

フェラ お前が我々のコンサートに来なかったのは非常に残念だ。現在何が起きているかをしることができただろうに。もしコンサートにきていれば、俺はいまここでしゃべったことがおまえにとってちがう意味を持ちえたはずだ。家に来て コンサートを見て、演奏を聴いてバンドを観察して俺たちのの演奏のしかたをみていたなら。その方が おまえがこのインタビューのことを書くときにも役に立っていたはずだ。だが、よし 物事はなるべくしてそうなるのだから、おまえがコンサートに来るようにはなってなかったんだろう。

フェミ (笑)

フェラ そう。おまえが存在しているこの世界を、白人は「偶然の一致」と呼ぶ。だが偶然などこの世には存在しないのだ。もしおまえがどこかにいるとすれば、そうは定められてたのだ。おまえは今自分の顎を掻いていているが、それはおまえが生まれるまえからすでに定められていたことなんだ。「この日、11月6日の……」(ポトにむかって)いま何時だ?

ポト 午後9時14分前です

フェラ 「午後8時46分にフェミ・サンヤネオルはフェラの前で顎を掻く」その動作がどんなものであれ、それはすでに書かれていたことなんだ。だがおまえの頭は白人の言語に支配されている。我々 ヨルバ族の人間にとって、偶然は存在しない。迷信だって? いや、その単語は俺の言葉には存在しない。そうした概念を持ち込んだのは白人だ。もし木がしゃべることができるとそう人間が信じるのなら、そしたら木はしゃべることができるんだ! 証拠など必要ない。信じるだけでいいんだ。客観的証拠とか科学的根拠と言い出したら、木は不機嫌になってしまうだろう。あえてしゃべろうとする気をなくしてしまうだろう。木はこう考えるだろう。「見てくれよ何の意味もないじゃないか!」
わかるだろう!俺が知っているのはこのことなんだ。今日の世界を支配しているのは「悪」
と呼ばれるものだ。悪がこの世界を支配している。
(長い沈黙ののち、フェラは彼の宗教観に話が及ぶ)
 そう遠くない昔に、イギリスで、ヨーロッパで、人々は魔女を火あぶりにした。そして、現在、精神的力の中心であるナイジェリアにおいて「再正 born again 」と呼ばれる人々が存在している(「再生」とは プロテスタントのあるセクトにおいて 新しく改宗してきた人々に与える名前)彼らは「再燃 burn again 」と呼ばれるべきではないだろうか?
そうとも! いったいキリストはいつ再臨するのだろう?自分は何者でもないといいながら、いまおまえが被っているようなふちなし帽子をかぶり、おまえのように、カメラやカセットレコーダーを持ち歩き、奇跡を起こしながら歩く。今日誰もがキリストになることができるのだ!これは現在我々が生きているスタイルだろうか?というのは、これが俺が1981年にある霊にとり憑かれたときみたスタイルなんだ。
 しばしば俺は自分の息子のフェミを見ると(息子もおまえと同じフェミという名前なんだ。)聖書のなかで使われているある言葉を思い浮かべる。神に反する言葉を…

フェミ ブラスフェミ? (blasphemy, 冒涜、不敬、不謹慎な行為)

フェラ 何だって?

フェミ ブラスフェミ!

フェラ ブラスト (blast, ちくしょう)

フェミ ブラスト・フェミ(ちくしょう、フェミ)? 

フェラ そう! ちくしょう、フェミだ。ではなぜ ブラスト・ジーザスと言わなかったのだろう? ちょっとかんがえさせるだろう? なっ(くすくす笑い)、
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 「500年ものあいだ19世紀にかけてまでアフリカに入植するキリスト教徒たちは、アフリカは野蛮な異教徒たちでその魂は救わなければならないとかんがえてきた
この考え方が人種差別と奴隷制を正当化してきたのだ。そうしてこの態度は聖書の一説からも根拠を与えている。
大洪水ののち箱舟から出たノアは農夫となりぶどう酒を造りはじめる。あるときノアはぶどう酒をのんで酔いつぶれ裸のまま寝てしまう。それを見て驚いた息子の一人ハムは、兄セムとヤヒトに告げ二人は着物を取り 彼にそっと着せたんだ。決して盗み見ることなく後ろ向きに歩いて、しかし、自らの裸を見られたと父はハムに対しては執拗に腹を立て、ハムの息子カナンに有名な呪いをかける。「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(創世記9章25節)そしてこのカナンこそがアフリカ人の祖先だというのだ。まったく当然のことのように!ではいったい誰が悪い!聖書はなんとここで「カナンではなく息子のハムを罰するべきである。」と教えを説く。

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 禅とヨルバとの宗教のあいだに類似性があると思うんだ。仏教の禅においては、真実はその人が空間の中で占めている場所によるとされている。つまりある場所に位置している人にとっての真理は、他の場所にいて同じものを少し違った角度から眺めている人にとってはそうではない、ということなんだ。

これと同じ発想はヨルバのことわざにも見出すことはできる

いいか、ヨルバは世界最初の言葉なんだ。ヨーロッパツアーの際にイギリスのバーミンガムで演奏したんだが、到着すると予定されていたコンサートがないんだ。俺が演奏することをだれもしらなかったんだ。いったいこれはどうしたかと自問してみせたさ。結局俺は数人の前で演奏したんだが。その夜、俺は彼らに何をはなしたと思う?1981年に俺がトランス状態に陥ったときに見たことをはなしたのさ。『マンゴ・パークという男が探検家と称しながら、実はアフリカの力を手に入れるためにやってきた。彼はニジェール川を渡ってイフェ島に到着する。イフェ王の妻のひとりが彼に力の杯をみせると、彼はそれを盗み出してイギリスに持ち帰ってしまった。それがヨーロッパにおけるテクノロジーの始まりとなった。それゆえ、この国はイングランドEngland (LAND国、ENGine エンジン
機械、つまり機械の国)とよばれているんだ。杯はどこにいったか? ウィンザー城の礼拝のなかさ。』といってやったんだ。そして俺はバーミンガムを経った。そして翌朝、なんとウィンザー城で火事があり、まだ鎮火されてないというニュースが飛び込んできた。
125台の消防車が出動したそうだ。だが聞いてくれ。俺がここで言いたいことは、ウィンザーはヨルバ語の言葉なんだ。つまり「Iwin so (魔女がしゃべる)」だ。ヴィクトリア女王とエリザヴェス女王が住んでいたのはあそこだろう。そしてその生まれ変わりの サッチャーや エリザベス二世の時代 皮肉にも 俺たちの国を「ナイジェリア」と命名したんだ。「ナイジェリア」は ヴィクトリアと同じく「リア」という音で終わっている。彼女たちにコントロールされている他のアフリカすべての国国と同じだ。
いいかい、俺はこうしたことを今オマエに言っておかなければならない。人々がこの世の本当の姿を知る必要がある。
……世界のあり方についてだ、だが今は、これが俺の言うことのできるすべてなんだ。


                           1996年 11月 6日 
ラクタ共和国にてキザイヤ・ジョーンズ(本名 フェミ・サンヤオル)によるインタビューを抜粋

現在のナイジェリア地域に関する歴史、文化的出来事に関する略年表



紀元前1000年 現在のナイジェリ南部にバンドゥー語族の人々が移住し、鉄を使用。彼らの文明英雄は鍛冶王とよばれていた。
紀元前 500年〜200年 ノク文明が金属製造を行い、サハラ以南のアフリカではじめて土器による彫刻を制作する。
紀元800年 チャド湖あたりにトゥブ族のカネム帝国が成立。マイと呼ばれる神王を頂点とする封建制度をつくる。
9〜10世紀 ハウサ族の都市国家があらわれ、金属製造や手工業製品、革製品、布の商売など活発な経済活動をおこなう。
10世紀 イグボ・ウクウの考古学的用地の占拠。アフリカ大陸で最も古いブロンズ象が略奪される
11世紀 カネム帝国がイスラム化される
12世紀〜14世紀 カネム帝国の最盛期。その影響は北方のエジプトやフェザン(リビア)にまで広がった。
12世紀ヨルバ族により、南部の森林地帯にぺニン王国が建設される。洗練された強力な文明が1897年までつづく。
13〜14世紀 イフェ王国の都市において、陶芸、装飾、ブロンズ、像製など、宮廷芸術が栄える
16世紀 オヨ王国のために、イフェ王国はその影響力を失う。
16世紀 沿岸の港においてポルトガル人と初めて接触を持つ。奴隷貿易の始まり。
19世紀 北部のイスラム地域にイギリスが侵入しはじめる

ぺニン王国、イギリスの保護領となるのを拒否。これを受けて、イギリスより討伐隊が派遣される。ぺニン王国の首都は地図から抹消され、芸術品、王権を象徴する品々、宗教的オブジェなどが略奪され、ロンドンで競売に付された。
 北部イスラム領地域がイギリスの保護領となる
フレデリック・ルガード (初代北部高等弁務官)による間接統治の下、ナイジェリアの北部と南部が統合され、ルガードが新総督に就任した。この際南部沿岸に位置するラゴスが首都となる。
経済危機およびイギリスによる強硬な統治が北部の諸都市で暴動を引き起こし、流血を持って鎮圧された。
1938年 10月15日 フェラ誕生
1960年 10月 1日 ナイジェリア連邦が成立
第一共和制(1963〜66年)が宣言されるが、ニジェエール川によって分割された三つの地域の対立により、議会制民主主義は不安定なものとなる。地域間の話し合いの結果、大統領には東部州のアジキエが、首相に北部州のバレワが就任し、西部州には野党がまわった。大規模な騒乱がおき、緊急事態宣言が発布された。
1月イロンシ将軍が政権を獲得。7月イロンシ将軍暗殺、変わってゴウォン中佐が国家元首となる。
5月ナイジェリアを独立した州の連邦とすることで各地が合意。ゴウォン将軍が合意書にサインし、合意が発表される。東部州の知事であり連邦制の主唱者であったオジュクの指導のもと、同州はナイジェリアから分離独立を宣言し、ビアラフを国名とする。これをきっかけに7月より内戦(ビアラフ戦争)が勃発し、100万人近くの死者が出る。それ以来、ナイジェリア国軍は強大な権力をにぎることとなった。
1970年 1月ビアラフ戦争終結。〈統一派〉が勝利。何千人もの兵士たちが再就職措置もないまま動員解除される。ナイジェリアは世界第5位の原油産出国となる。
1975年 7月29日 ゴウォンが民政復帰の計画を反故にする。彼がウガンダにおけるOAU(アフリカ統一機構)首相会議に出席していたこの日、無血クーデターが発生。ムルタラ・ラマト・ムハマド将軍が政権をにぎる。パン・アフリカニズムを基本にし反アメリカ職を打ち出した政治姿勢およびナイジェリア人民への圧制により、西洋における評判は悪かった。
1976年2月13日 軍の不満分子によってムハマド将軍暗殺。だが暗殺犯たちはすぐに処刑され、参謀総長オバサンジョが国家元首となる。
1977年2月13日 フェラのカラクタ共和国がナイジェリア当局によって攻撃される。
1978年〜1980年 北部のイスラム教徒と南部のキリスト教徒とのあいだで政治的、宗教的諸問題が続発する。イランにおけるイスラム革命の成功が大きく影響を与えた。オバサンジョは民政復帰を受諾。
1979年7〜8月 大統領選挙実施。10月にナイジェリア国民党の党首シャガリが大統領に選出され民政に復帰。第二共和制(1979〜1984年)。
1983年12月 軍部によるクーデター。再び軍政へ移行。ブハリを議長とする最高軍事評議会が発足する。各州は中央の強健体制に服従し、民意にそぐわぬ体制が作られた。
1984年11月 フェラが10年の実刑判決を受ける。国際的なフェラ支援運動が展開され、20ヶ月の服役の後釈放。
1985年8月 ババンンギダ将軍による無血クーデター。ババンギダが大統領兼最高司令官に就任
1986年〜89年 クーデターが試みられるが失敗に終わる。経済的不況のもと暴動が発生し多くの死者を出す。
クーデターが発生するがババギダ政権内のナンバー2の座にあったサニ・アバチャによってぎりぎりのところで鎮圧された。地方選挙がおこなわれるが、不正行為が続発し、賄賂が支配する。
 経済的不況による暴動が多発。国内を30の州に再編する。暴動と賄賂が横行する中で国会議員選挙が実施される。大統領選挙は93年に延期される。
6月 大統領選挙が実施され、その結果モシュッド・アビオラが勝利する。ババンギダ政権は即刻この選挙を無効とし、臨時政府の国家元首にアーネスト・ショネカンを据える。ババンギダは辞職し、アビオラは亡命する。
1993年11月 サニ・アバチャ将軍が憲法に違反して、臨時政府の樹立を宣言し、政権をにぎる。
1994年6月 アビオラが自らがナイジェリア連邦共和国であることを宣言する。彼は即刻逮捕され刑務所に送り込まれた。アバチャ政権による激しい圧制の始まりである。
1995年11月10日 作家ケン・サロ・ウィワとMOSOP(オゴニ生存運動)の15人のメンバーが逮捕され、絞首刑に処される。彼らはオゴニ族の住む土地の環境が石油採掘によって破壊されていることを告発し、これ以上の環境破壊をくい止めるために政府と対立していた。
1996年1月 約40の団体によって人権のためのデモ行進がそしきされるが、政府によって徹底的に弾圧される。
1997年4月 フェラが麻薬使用の罪で有罪判決を下されそうになるが、危ういところで服役を逃れる。
1997年8月2日 フェラエイズのために死去。