Roualt.

  /雨の
  ///
  吹く
  風// 

肌身消え去る
無色透明の風
 
 夢忘る、なら
  縦長の窓
 
  かげ うつす

 草 いきれ
   
  、

λλλλλλλλλλλ
λ藁草臥鈴虫鳴く土手λ
λ厚手の上衣置き忘れλ
λ気付帰宅くたくた宿λ
λ玄関扉を開け後戻りλ
λ道草日付改稿歩めりλ
λ山下清と山下よしてλ
λほうへほうへ連れてλ
λ歩き歩きつ使い捨てλ
λ人人人人人人人更丈λ
λλλλλλλλλλλ




http://www.youtube.com/watch?v=042vv_DDIwU



新しい ひとつ の街に

  あなたは 居るか?  



    http://www.youtube.com/watch?v=g3xY5R03bUQ&feature=related



    
ルオー 「彼はいたく虐げられぬ」
ノートル=ダーム・ド・トゥット・グラース

少年時代に絵硝子師の徒弟になったルオーが、実際に自分の下絵による絵硝子を作った(むしろ作らされた)) 1939
ルオーの油彩様式は、絵硝子に移すのに向いているとはいえ、筆による油彩と、色の硝子をモザイクとする絵とはかなりの懸隔がある。
解説:柳 宗玄

「郊外のキリスト」

油彩によるルオーの本格的な風景画は、出現したその瞬間にすでに巨大な記念碑的性格をもつものであった。この作品がそれである。誠実な作家にとって、すべての作品は、それまでに積み上げてきた努力の総決算である。
ここにあるのは俗も喧騒も飾りも、遠く離れたひと気のない郊外の場末である。煙を吐かぬ煙突が一本、寂しく顔を並べた家がいくつか。彼方に続く長い道の真上に、月が昇り、凍てつくように白い光で道を照らす。小さい人影が一つ、さらに小さな影が二つ、そこにわずかな温もりがある。うらぶれた郊外の風景、人前で笑いを作るのを止めて、自分に戻ったあとの道化の顔である、とすれば、寂しげな道化師のそばにも、いつもキリストが人知れず佇んでいるのだ。
解説:柳 宗玄








 ルオーの手紙(抜粋)

 芸術というものを
 私が
 高く評価するのは
 強烈な告白があるからである
 それを
 永遠なるものの反映
 などと大袈裟には言うまい
 しかし
 単に表面だけの努力しか見ない者
 目の前にある者の反映
 または
 その多かれ少なかれ
 正確な模写しか見ない者
 対しては
 彼らをまごつかせるために
 そういう絵の言葉を使ってやりたい


形態創造の神秘はある種の方法を必要とします。即興的にはしないものです。感情だけで即興的にできるものではありません。深い感性をもってしても。……それよりも、生涯かけて努力が必要なのです。

シュアレスへの手紙、1913年8月10日



形と色、これが私たちの言語です。あとから法律や博士たちや善男諸氏がやってきたところで、どうということはない。

  もろい粘土から形が生まれ
  陶工は黙ってながめ
  アンフォラの壷の優しい頸と
  愛に膨らむ腰に微笑みかける


シュアレスへの手紙、1926年




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    ¥ http://www.youtube.com/watch?v=8DDytVldfDk

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海岸灘両翼を固めた
鳶が浮く
人間の両をみすぼらしく
眺めながら
空を鳶が遊んでる
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彼方を眺めて海と陸の臨界を廻る
自ずの姿をみすぼらしく眺めながら
・・・・・・・・・・・・・・・
煙突に隠れた拳が
モクモクと腕を突きだし
砂を蒔く処女が
遠い潮騒に聞き惚れている
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産みの親に愛奴(アイヌ)
と呼ばれた、祖母は、
両岸の過去に彼女は
今・立ち、生命崩壊及至死
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生暖かな砂浜と水泡が浚う
青く透明なにび色の
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鳶のふたつの目がサイクロイドの軌跡を描いている
砂を蒔く処女は口を咬み
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破水を撒き散らし
愛奴の体を冷ますために
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思いもかけない夕べの浜を陽はかたむく
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海と陸の六つ七つと
太陽が、ひとつ、ひとつ
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>10122012