選挙ポスター

シュゥルとはいかにも(間抜けな政治か議いんらどもの選きょポスターを見ながら帰りしな)やっぱり顔ではなかろうか?

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人体彫刻家からみれば首と呼ぶところのヒトの頭部は確かに、一言の言葉で言い表せない不可思議な表しょうを呈しているにちがいない。我輩が猫なら、あんなつんつんつるてんののっべらぼうの顔面に、口だか目だか鼻だか、あとからくっついてる、ある部分から奇妙に毛を生やし、最早化け物みたいにみえるにちがいない。

最近のくだらぬ痴れ事、ただごと、身勝手極まりない、私ごとの駄々文もいつまでやってもアホくさく読み返してもいられないので、少し最近の心に残る先人の文面を取り上げて、ここにインプット。自分のため

彫刻家、佐藤ちゅうりょう(1912‐2011)

少年の美術1

「わたしたちは、なぜ顔に興味を持つのか?」

 首をつくろうとして、よく知っている人にモデル台にすわってもらうと、それまで抱いていたイメージとまったくちがって見えることがあります。ふだんのいきいきしていた面影が消えているのです。わたしたちは、おそらくその人の喜びや怒りや悲しみの表情をとおして、全人格を感じとっていたのにちがいありません。見えたとおりに引き写すだけでは出てこないものを、その人に感じていたのです。そうだとすれば、いまモデル台に座っているその人は、ただの参考品にしかすぎません。作者の内部で感じとっていた記憶のほうが、ずっと確かだったということになります。
 首は、だれでもつくりますが、単にモデルの顔がおもしろい形をしているからつくるのでは、作品は緊張してくれません。
 写実は、単なる自然描写ではありません。作者が対象に対して受ける衝動が大切です。
「父の胸像」は、ロダンが二十歳のときの作品です。天才とはいえ、幾歳のころから彫刻を始めて、二十歳でこういうものができるようになるのか、見当もつかないほどすばらしい作品です。小さいころから貧乏をしていたので、包み紙などにデッサンをしていたそうですが、そうしたデッサンの積み重ねが、確かな手と目を養ったに違いありません。
 この四年後に「鼻のつぶれた男」という、みにくい老人の顔をつくりました。当時のきどった美術のなかで、ロダンが実直そうな掃除夫に心を寄せて作品にしたことは、いま考えるとたいへん勇気のいることだったはずです。みにくいというので、展覧会で拒否されたことでも、当時の美術界のきどった雰囲気がわかります。
 人間が生きている美しさを見せてくれた青年ロダンは、冷えきっていた美術を、わたしたちの手に取り戻してくれた人だったのです。
顔は人が自ら咲かせる花なのです。

「美術を学ぶ人へ」
美術を学ぶ前に私が日ごろ思っていることをみなさんにお話します。というのは、みなさんが、自分の美術をすることの意味、なぜ学ぶのか、きっと知りたがっているだろうと思うからです。
みなさんが考えてほしいのは、科学と芸術の違いです。
みなさんが、すでにいろいろなことを知っているでしょうし、またこれからも学ぶでしょう。それらはおおむね科学と呼ばれるものです。科学というのは誰もがそうだと認められるものです。
これら科学をもとに発達した技術が私たちの日常生活の環境を変えていきます。ただ、私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。好きとか嫌い、美しいとか醜いとか、何かしらに対し感じる心があります。これは誰もが同じに感じるものではありません。
詩や音楽や美術や演劇、芸術は、こうした心が生み出したものだといえましょう。
芸術というものは科学技術と違って環境を変えることはできないものです。
しかしその環境に対する心を変えることはできるのです。詩や絵や彫刻に感動した心は、環境にふりまわされることなく自主的に環境に対面できるようになるのです。
私はみなさん一人一人に、ほんとうの喜びや悲しみ、怒りが、どんなものかわかる人になってもらいたいのです。
芸術を学んでください。しんけんに学んでください。しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。



「彫刻の表すもの」
―写実のなかの変形―
人体や顔からじかに型をとったものは、寸法的にはそのモデルと合っているから正解だといえるが、彫刻的にはその人物のある瞬間の姿を寸法合わせしたもの、一瞬の現実を固定化した表現といえるだろう。
 ブンガクや映画のように、時間的経過のなかで、ある人物を語れるものと違って、彫刻では、動かない一個の像のなかで、実際の人間に負けないだけのものを表現しなければならないのだから、なかなかむずかしい。 一個の像のなかに、人間の過去と現在と未来をとりこもうとするとき、寸法合わせでは現れてこない変形―より深く語りたいという願望の表れとしての形象化が要求される。

「彫刻に込められた心」
 冬に地獄の神ハデスに連れ去られた娘が、春になれば母の元に帰ってくるというギリシァのデルメル像は、母の悲嘆もさることながら、一人の女性が未来をみつめて待つという忽然とした彫刻に見える。
 村長像と愛称されるエジプトの彫刻は、歩いているのでもなければ、ただ立っているのでもない。人間の人格のすべてを表現するには、動作の瞬間よりは働きの少ない形に性格を包みこませたほうが、内容を語れるということになる。
 エジプトのように地平と空という大きな空間のなかからは、このように単純剛直な彫刻が生まれるだろうし、ギリシァのような地方には繊細な叙情性を伴う作品が生まれよう。しかし、どちらも空間を把握し、しっかりとした存在感をもつためには、彫刻に必要以上の説明を与えないことだということを教えてくれる。
少年の美術2


「彫刻を立たせる」
 人体は頭部と胴と四 肢の六つの要素が動きます。しかも人間はその要素を動かしながら、その時代に生きていることの表現を大昔から続けてきました。人体の筋肉の数は変わっていなくても、かごに乗っていた時代とスピードのある時代では、人の身のこなし方は、全く違っているはずです。社会の仕組みが違ってくれば、私どもの考え方、生き方も違うのが当然です。
 わたしたちが人間をつくるとき、どうして人間が人間をつくるのがおもしろいのか考えてみるのも、大切なことだと思います。ただつくるのでは、泥人形でしかなくなることがあるからです。一本の草木を見ても、みんな太陽と雨風とのなかでうまくバランスをとりながら生きようとしている姿がわかるような気がします。
 人間もいろいろな条件の中でうまくバランスを取ろうと試みます。今ここでは、人が立つことの基本的な形を、図で簡単に見てもらうことにします。
 人体はまっすぐに立つと、首の下の骨と両かかとを結ぶ線が地表に垂直になります。片脚が休んだ形になると、立っている脚のかかとの方に垂直軸の点が移動します。そして、腰から上は休んでいる脚の方へ引っ張られかけます。そのままでは身体は倒れてしまいますので、今度は、胸から上の方が反対にカーブを切り始めて、立っている脚に重心をのせています。
 これでようやく、ごく自然のバランスがとれたわけです。人によって動きのかたい人と、やわらかい人の差はありますが、一度自分でやってみましょう。もちろんこれは、あくまで基本の姿勢であって、人体は無理をすれば、いろんな形にはなりますが、必ず別なバランスをとろうとしています。(少年の美術3)


「この本を読む人へ」
 この本をはじめて手にした人は、美術の教科書としては文字数が多すぎると思うかもしれない。
 実は、ここのところに、この本をつくった者の願望が端的に表れている。

 美術を静止的にとらえてはいけない。変化しやまないもの、と言ってよい。当然のことだが、その変化しつづける美術にあたる人間もまた、変貌しつづけている、と考えている。
 美術や人間の変化というと、時代が移り変わったり、年齢を重ねたりすると自然に変わっていくように感じるかもしれないが、わたしはそうは考えていない。自然に変わるどころか、自覚して生きている人は自分をつくり変える努力を重ねながら生きている、とみている。
 なぜこうした努力を重ねるかというと、自由な人になるためである。
 自由な人というのは、偏見や権威に惑わされず、理想や美に対して直面し、勇気をもってそれを吸収できる知性や感性を備えた者である。生まれたままの自然児が自由なのではなくて、ほんとうの知性や感性を努力の末に獲得した者が、自由なのである。
 作品は、作者の生き方の投 影である。だがそれにとどまらない。作品が一人歩きし始めるときがある
そして作者の手に負えなくなり、やがて作者の生き方を変えさせるほど、作者に迫ってくるものだ。
 ものをつくるということは、こういうことだと思う。
 自分が、どう人の目に映るか、どんなふうに思われるか、ということが生き方の根本にあるようでは、人の心を動かすものはつくれない。
 
 志 賀 直 哉が、飛 鳥 奈 良の美術写真の選を依頼され、関西に住んで、二年にわたり、撮ったもの、を見て歩いて選んだ、大正十五年のことである。「選ぶ基準はその物によって如何に自分の心が震い動かされたかということにある。」
この姿勢は学ぶべき点である。
優れた感性を身につけた人でも、ものを見るとき、ちょっと見て、でっち 上げるのではなく、その場に生き生活の原点に立ち、心の目で見ようとしていることだ。
感性を人間に備わっている属性のように思っている人がいるが、わたしは、違う、と思う。
感性は、放っておけば鈍くなる。学問と同じように、努力して獲得するものだ。獲得の方法を吟味して、努力を積まなければならない。
ものを知るだけでなく、いろいろなことを感じるために、仮面をかぶった人生から自分を解き放つために、人間は努力して自分を変えなければならない。
(高等美術科、その精神と表現)

1978年頃、中高の学生向けに編纂した美術の教科書から、佐藤ちゅうりょう氏の書かれた文章を、佐川美術館の展覧会、の資料より抜粋。


http://f.hatena.ne.jp/mobile/a-rimbaud2patti3genkou437/20120727213300?guid=on
帽子の女 ブロンズ1963



次回はルオーの書簡文を予定/