最近の散文






3/29真夜の広沢池
広くて暗い御池の向こうには
こんもりともられた小さな御山
遊歩道から水際につきだしたところに
黒くて見えない石体、つまずきながら
そこに行く。人気のないベンチと老木桜か梅か、車で往来1時間の小さな旅
。過去にしばられている私自身が立つ。そこでの景色が真新しいものに見えてくる。私がこの街に生まれ、育った。カタルシス、またくるからね。子供のように真夜の石仏体に2度手を合わせる。−どうして読んだか。エミール
「大人の線維はかたくなり強い力を加えなければ、すでに備わったヒダを変えることができない。子どもの線維はやわらかく、しなやかだから
大人には耐えられないような変化に
もすぐに順応し新しいヒダを形成することができる。」
ひきずる過去ー、幼年、少年、青年と、30余年の歩み、誰にも言えぬみじめでおろかな無数の坐折と労苦がチカラともなれず!そのときそのときでいつもしまいじゃないか!内心の鬱屈、フンヌ、叫び。自分が許し難い者に思えている。
「そうだ。それがオマエのすべてだ。」マモマがささやく。
これでは決して良い方向には行かない。判断を誤ると誰も許せなくなる。
して私の生きる力さえも。
カタルシス、真夜の広沢池に立つ石。君は私にも語りかけてくれるのだよ・・。この景色、私の初めて目にする景色、木木の若芽生い立つ春よ!初めて望む私の春よ!




http://www.youtube.com/watch?v=SaY7P4kqxCw



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ゆうしてっせんのむこうがわ、わからないわけがわからないからわからないんだから、あんたからはなしてくれとあいつのうしろのえりくびをつかんだうしろのしょうんめんにいったいだれなのな?ぼくがあてっこしあいくちにくわえたいろいろないちまいのはんかちはしろいはなびらのにほいをかがせながらねむりについているぼくのしらないうしろのてんじょうのねがおのうえにおちてきた。ちょうどひらいていたほんがかおにのせられてめくるぺぇじのゆめのあんじょうをおもいだしてはいくらくらいまぶたのそこにしろくぬられたもじたちのゆくえをおもいだしてもどうともしれないうわごとをおいながらまたしてもゆめみのそらからふりそそいでくるのなにやらのものいいたげなことばたちの
ねまくらのうしろではねくりふりつもっているのだ 
トコト トコト トコト おとのなるこうとうぶ  
トコト トコト トコト きこえてはよみがえり、
きえてはよみがえり ぞうさもないこととあるがままにひきうけきおくのおくそこにおちてきえる

ねいきをたてていたたゆうしてっせんのむこうとこちらがわからないあんたからはなしてくれと、きかいのとけいじょうでふたりはもじのはりつけのけいにしょされたわたしたちのだからみえなくなってしまったのだからほうれんそうのヘタのあいだにせまいせまいすきまのなかにはいりこみ、しょうきゅうししているふぁみれすのあのこだったあのこはあるぷすさんみゃくのとがったてっぺんのよるのやみのさきからみえかくれしていたふじさんのかげにむかって、ぶろっけんじゅにあぁぁと
さけんだ   ぶろっけんじゅにあぁぁと

くもがつきをこぎだす、そらのふねはとうきょうじゅうのやけいをはなれていった、しずかにねむるふじさんはえんとつのけむりがふきだすがいまかいまかとしゅっこうのあいずだ
つきをのせ、ふねをこぎだす とまっていたのがうごきだす
      _____○ 
           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
うごいていたのがていしする、そらにつきはかげってそらのつきがくもをこぎだすおちたひかりたまのうしろのしょうめんでておいで、めのまえでかがみにうつるうしろのしょうめんでておいで、りょうてをおおいすわりこんでしまったあのこのよこにはなにやらでておいでとよびかけたほんがぺぇじをひらいたままでてきてきこえるねほらあのときのおとがとおりすぎたあとのゆめのまのまにうつしたきーぼーどが・かいこうおわりこんどこそしょうとう  改稿 1:47 2012/03/29
 











おまえという
わたしのなかの
いっこは
いきることの
ねぶかいいたみを


こわれた
だんぺんを
れきしにめくり
たいせきした、
地のつがれた、血の
まなぼうとした、知の
すべては、はかいされた
そのばしょ
そのばしょを
しかとみすえたいなら
そこから
うごくな
ただぼうぜんと
そこに
つったったままでいろ
ぼうかんするな
なにも、なにも
かたるな
しかとみとどけ
だまってうつむけ

わがことのなかのひとごと
ひとごとのなかのわがこと
そんなたわごとであるかぎり
いまはなにもむすばれはしないのだ
ぼうかんするな
なにも、かも、かたるな

わたしというおまえの
いっこのぞんざいが
ぢめんにゆすられ
ぜんいもきぼうも
あくいも
ぎぜんも
おなじように
こざかしく
いまはおまえのじんりきの
かんげんされた か ち が
とほうもないさんげきに
サイとしてなげられたとしても
その た い か も
おなじように
うんめいにのまれた
ほうまつのくずだ
どうようしてなやませる
のであるのなら
きづかれたれきしの
しるされたことばに
いったいどんなあしばを
きづけというのか
そこからなにもきずきはしない
なにもきずきはしないのだ
かんぜんにくずれ
さった
どたんばの
あしもとに
すこしも
たつことのできない
わたしというわたしは
ぼうかんしゃであるかぎり
きづかれたれきしのぞんざいに
ゆりうごかされて
いまだ、しがみついているのだから
きぼうというみらいに
いまだ、しがみついているのだから
いきるというよくぼうに
いまだ、しがみついているのだから
し というせつなに
いまだ、しがいついているのだから
もし、わたしというわたしが
そうしたものすべてを
てばなすことができるのなら
そうして
すべてをなくした在・場にたったのなら
わたしというわたしが
もし、そこに、じかくするものがあったなら
だまって く い をうつ 。

その 在・場 に
いつか、わたしのなかのいっこのわたしが
そのあしばをきずくだろう
史のあしばをきづくだろう

いや、できやしない
ぼうかんしゃのわたしは
りくつをくりのべ


そのばしょをしかとみすえて
つったったままでいろ
うごくな、いまは
ただぼうぜんとそこにいろ
ぼうかんするな
いまの・いまの・いまの
とぎれぬときのまえで
わたしはなにもかたるな