二人の画家

部屋中顔だらけの絵写真に囲まれた寝室。またひとつゴッホの自画像、ちいさなチケットの紙きれを壁に貼る、ナショナルワシントンギャラリーの展覧会が27日で最終日だった。



ポールセザンヌの、赤いチョッキの少年や、父の肖像画(150号はゆうにある)は息を呑む。そのまん前で立ちつくした。

リンゴの静物
彼のとらえたその色とカタチ。100年もの歳月が経ちながらまったく揺るがない。
ありふれた数個の林檎にどれだけたくさんの眼が注がれたことか。
(当時評判の良い多くの画家たちはみなセザンヌのやっていた制作と仕事を無視出来なかった。嫌でも何でも、その問題にぶちあたる、物のカタチの徹底的な追及を、誰もが見過ごしていたことを思い知らされる。皆が彼の作品にうろたえた。嫉妬と尊敬の眼差しで彼をサロンに招く、…つ)
林檎の静物画はあまりに有名だが、描かれたものは、彼の眼によって『視て視て見抜いたあかし。』彼は自然学者のように、まじまじとものをみつめ観察したことが、わかる。『確かにわかる』

彼の肉眼が前頭葉を通し、みえた物の本質を、絵のなかに創る。
造形には造形、を求める
絵には絵、を求める
突き詰めていく
独自にイチから
構成による絶対的な調和を。
彼の仕事無しには、今日までの現代美術はなかった。




自殺する一年前のビンセントの自画像、観衆の群がる頭の隙間に20号程度なのだが、かなり馬鹿でかくみえた彼の生首

ハリツイテいた。
緑色した青白い色面。
かれの観た色光は
彼にしか見えなかった色。その色、その根源色、
制作過程で探し求めていった
その色とりどりの色たち。
今まで誰もがみていて誰ひとりとして
抽出できなかった色光を彼は死ぬまで探し求めて
いたのかもしれない

まぶしいほどに麦畑が
小さな画面に永久に
固定されていた

我々の観たものが物としてそこにあった


それらはみな、当時の現代美術だったのだろうけど、根強く継がれた伝統に立ったうえで個の個の絵画の頂点を極めた時だったのかもしれない。

ルノアールゴーギャン、スラー、マネ、ドガロートレック


いったいこれから彼らの真似ごとをやってなんになるだろうか?

『できないですけど』
でもやはりもう一回、

自身でしか、とらえられない造形を線によってデッサンする。

自身でしか感知できない色光を物の本源からよりぬく。

もう一回、イチから、ならいなおすことになるのだろう。

こんなの見せられた日にゃそうせざるおえないよ、セザンヌさん。

ではまた、いつか出逢える日までもうすこし成長させなきゃね。