雑(1)

まだまだわたしの書く詩と同様ものすごく擬人化されすぎていますね。

追記、
安易に作品を(作風を)批判したのではなく、これは日本の長い歴史の上で、物語世界に対する根強い意識(アニミズムといった観念)が、広く、深く浸透しているためだからだろう、と考えます。 最近それにようやく気づいた次第です。
「物の擬人化、動植物の擬人化」つまり今で云う「キャラクター化」です。一方で、では、人間はどうか?、「人間の擬物化(←造語ですが)」に感じます。つまり人形化され機械化された、いわゆる人間が「化け物」に成るわけですね。
主体が物語るなかでそうした構造が日本の物語性に強くあるのではないか。

西洋のヒューマニズム。そうした精神土壌とはやはり違い、そうした観点がやはり希薄である。
「自然を書けるが、しかし人間を書けない」、とよく思ったりします。
(これは日本の美術やアートにおいても似たところがあり、何人かの作家にそうした話しを交わしますと、おおむぬ同意します。)

しかしそれは何故だろうか?、 「人間とは何か?」という素朴な疑問を、若いうちから問わずに語らずに来て、それ以上にもっと、こうしたアニミズム(物の擬人化)や、キャラクター化(人間や物の偶像化)の世界観。
また大人社会・文化においてもそうした観点が意識下から働き、詩や文芸創造においてもその域にある。 そんな性質がありやしまいか、・・よくもわるくも・・です。 
そういったことに最近気付かされたりします。

幼い頃、自分か兄弟か、忘れましたけど、幼い子どもが机の角で頭をぶつけたときに、親がこんなふうに話して聞かせます。
「お前だけが痛いわけじゃない、机だって痛いんだ。」
と、云ってみたらそんな世界観ですね。

そうした観点に何か意見やお考えが、あれば、聞かせてほしいですが、
まぁこのレスを読んでないかもしれませんね。またいつか、レスします。
以上長く追記しました。
終わります。


互いに競争しながらも親しく冗談を言い合ったりする仲なので…絵師川成と飛騨の工匠

母)太郎なそうそう太郎さんな、
玄)1970年頃、その太郎さんが、まぁ折口信夫の弟子だって言っとった。その人にいろいろ世話になっていて、井上井月(イノウエセイゲツ)さん?あの俳人
父)んーあぁその人はあまり知らんのだけれども、伊那の人なんだら
玄)そうそう、そう
父)訪ねに行ったのをテレビで見たけど
玄)いつ?
父)だいぶ昔だけどな
玄)震災前?
母)まえまえ、もっとまえなぁ
父)俺が知ったのは最初、あの人のことを知ったのは、そのテレビに出てきて知ったのよ
玄)井上井月、知らんかった。でもまぁ、なんか俳人さんのある句を詠んでくれて、ちょっと、
母)井上井月のことは、最初新潟県の武士だったんだけども、そのなんかの戦いに反対したんだけどさ、
玄)明治の人?
母)明治かな…、その戦いをしたくない、あれぇ明治だったかなぁ、あれぇ、違う人かな、そっから逃げてきてさぁ、妻も子どももあったのに、逃げてっちゅうか身を隠して、一人きて伊那谷に放浪して来てさ、なんか詩をつくって…、俳句か、を詠みつづけてきて、違うかな、なんか映画のなかではだぞ。一茶に匹敵するんだってよ。
玄)その人の俳句を詠んでくれて、テーブル越しで、いゃも、なんつうかほんと良かった、ほんとその時は、誰もいなかったし、講演の前日だったから居るとも思わんかったけれども、もう80歳になるなんだけど、(来年は)顔は全然若い、
母)あぁゆう声だった?
玄)んーなんか時又のおばあちゃんみたいな顔しとったけど、あんなような顔しとって顎髭生やして
父)ちょっと細身だよな
母)あぁそうそう小柄な人だよな、そうそう
父)いつだかテレビを見たときにはなんか天竜川ぞいをな、なんか座ってしゃべっとったぞ
母)あぁ思い出した、水の流れを見ながらなんか言うんだら、
父)なんか言ってた、なんかその俳人の話しをしててな、気がした。

吉増剛造が、その話しを一緒にしてくれた音声を抜粋。以下
吉)京都にずっとお住まいですか?
玄)
吉)へぇ、長野のどこのご出身ですか?
玄)飯田市というところです
吉)へっ飯田
玄)そう、だからぁ、飯田の長野からきました。だから日夏耿之介さんとかぁ、柳田國夫さんとかぁ、そうした文学がゆかりのある人の記念館とかあってぇ、
吉)飯田、それはそれは、柳田さんの関係もあるし折口さんの関係もあるし、そうね柳田さんのもともとの柳田性はね。そうですか
玄)やっぱり隔離された感じの場所ですけどね、谷の中の、
吉)そうだよねー、天竜川の大きな河が谷の真ん中を流れていますよねー
玄)はい、だからちょっとそのぉ、閉ざされた感覚が、わりといいような気風というか、気質なんかが
吉)そうだよね
吉)飯田長姫交通って今もあります?タクシー会社
玄)はい飯田長姫タクシー、あります。
吉)むかーし、むかーし、1970年代だったかなぁ、まだ柳田さんの養子に行った先がわかんない頃、飯田長姫交通のその社長さんが折口さんの弟子なんですよ。それでねー、呼ばれていって、飯田を歩いたことがあったですよ。
それからねー、伊那谷には、有名な井上井月っていう俳人がいるでしょう。大好きでねぇ、随分助けてもらいに訪ねていったことがあったですよ。[落ち栗の身を定むるや、あぁ…くぼだまり]、とかいったかなー、谷間にそこに栗が落っこちてって仕事してる、っていう名句がありましたけど
玄)はぁ、存じ上げてなかった。

吉)それはようこそ、伊那谷から…………


玄)で、「あなたも何かやっているんでしょ?」、とか言われて、なんかもう顔がすごい嬉しそうで、
いや、銅板にノミで打って言葉を打っているんだけど、床にバーっと広げてるんだけど、ようするに絵巻みたいな感じで、銅板が、文字の輪郭をノミで打ってて今それは毎日やってて、、で今は毎日吉本隆明の詩を打ってるっていってて、
父)なにその字を打ってるんじゃないのか?
玄)字の、あの書の文字、太い文字の輪郭を打っている、
父)印鑑状態か?
玄)(写真を見せる)
父)んー、字を書かないでなんで浮かすんだ?、聞けばよかったじゃないか、
母)なにそれ?、
父・玄)銅板に字をこう、打ちつけてっていうか
母)詩じゃなくて?芸術作品を作っとるの?
玄)だから今はなんかもう
母)詩を書いてるんじゃなくて
父)だから詩をつくってるのよ
玄)写真のうえに字を書いたり、絵の具をもう、そこに垂らしたりとか、もう、やってることはもう現代美術と一緒のことをやってる、んで目隠しして、銅板にインクを垂らしたりしてるけどな。
父)なんだそれは展覧会か?
玄)そう、展覧会。
父)なんで展覧会やるんだ、詩のことを


玄)あのぉ、わからんけど、本から言葉をもう出してしまいたいんじゃないかな。 自分でもう、彫刻のとか絵画とか写真とかに、芸術品のところにまぁ、文字を持っていってやっている、、まぁ本じゃあもう、、じゃないところに詩を、そういう人はまぁ今いっぱい居るけど、だいぶ昔っから、でも日本で最初にやってた、くらいの人だから、それもほんともう、松澤宥さんみたいな。 ほんと字をちいっちゃく書いて、紙とか布に書いて、オブジェ化している感じ。
まぁ、もう詩は、文学だけじゃぁやっていけない、、そんな感じでやっている気がする。

玄)ただもう、自分が詩を書いてるなんて言えんもんで、
母)なんでよ、見せりゃぁよかったじゃないか
玄)吉満さんの詩について、自分が感じたり思うことをワーっと言ったら、話したら、すごい喜んでくれた。
母)自分も詩を書いていますって、見せりゃあよかったじゃないか。読んでくださいって
玄)いやいや
母)いやいやか、
玄)いやほんと、この人、、あなたしか日本の現代詩人はいません、っていうくらい、に
母)(笑い)、思いつかない、信じられない、と
玄)んー、そう
母)言ったの?、お前が、口に出して言ったのか?
玄)まぁ、、とにかくその詩が……その彼の詩について、「お話しを聞いててすごく的確で驚きました」とか言って
母)なんて言ったのよ、おまえ、どんなことを言ったのよ。


つづく