時事から、最近の官僚騒動、政治不祥事から、存在論や組織論を考える

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パルメニデス
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http://www.asahi.com/articles/ASK5T3GJGK5TUTIL00G.html
文科相「コメントする立場にない」 前川前次官の証言 
2017年5月25日12時9分

 「総理のご意向」などを伝えられたと記された文書の存在を、前川喜平・前文部科学事務次官が認める証言をしたことについて、松野博一文科相は25日の参議院文教科学委員会で、「すでに辞職された方の発言であり、文科省としてコメントする立場にない」と述べた。

特集:加計学園問題


 + ある匿名記事より +

 前川喜平文科省事務次官(以下、友人でもあるので前川さんと呼びます)が「本物だ」と語った文書について、文科省は「共有フォルダー(の調査)や職員7人へのヒアリングの結果、行政文書として存在を確認できなかった」としています。

 ポイントは「行政文書」という言葉です。この言葉は最近、テレビなどでかなり安易に使われており、先ほどTBSテレビを見ていたら、コメンテーターの田崎史郎氏(時事通信社特別解説委員)が「文書は本当はあると思うが、行政文書としては存在しないということ」という趣旨の発言をしていました。法律をよく知らないと、つい「なるほど」と納得してしまいそうですが、もちろんこれは誤りです。
 「行政文書」という言葉は情報公開法で規定されており、「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう」(2条2項)とされています。これは簡略に「組織共用文書」と呼ばれています。ちょっと難しいので、以下この段落は読み飛ばしてくださっても結構ですが、情報公開法の公定解釈本である「詳解情報公開法」(総務省行政管理局編)は「政府の説明責任が全うされるようにするという本法の目的に照らして必要十分なものとするため(中略)、決済、供覧などの手続きを要件とせず、業務上の必要性に基づき保有している文書であるかどうかの実質的な要件で規定するとともに、媒体の種類を幅広くとらえて電磁的記録が含まれることとした」と述べた上で、「行政機関の職員が当該職員に割り当てられた仕事を遂行する立場で、すなわち公的立場において作成し、又は取得したことをいい、作成したこと及び取得したことについて、文書管理のための帳簿に記載すること、受領印があること等の手続き的な要件を満たすことを要するものではない」と説明しています。また、「組織共用」の基準のひとつとして、「業務上必要として他の職員又は部外者に配布されたものであるかどうか、他の職員がその職務上利用しているものであるかどうか」をあげています。
 簡単に言えば、こういうことです。行政文書を決裁されたり、稟議にまわされたりした文書だけに限定してしまうと、あとからどうしてそのような政策が決定されたのかを調べるとこができなくなり、政府の説明責任(アカウンタビリティ)が果たされないので問題です。しかし、だからといって、職員が取得・作成した全文書を行政文書とすると、職員が自己研鑽のため個人的に集めた研究資料や純粋に個人的なメモ・備忘録なども含まれてしまって不都合が生じる場合があります。そこで、業務の必要上、組織として共用されている文書(組織共用文書)を「行政文書」と定義したというわけです。ここで大切なことは、ナンバリングなどをして正式の文書ファイル簿の中に登録されていなくても、組織共用の実質をそなえていれば行政文書とされる点です。

 さて、今回の文書について、前川さんの証言を元に判断すると、
(1)文科省の担当職員がおそらく内閣府に出向いて内閣府の担当者と話をし、その内容をメモした
(2)そのメモに基づき、事務次官に(おそらく、大臣や高等教育局長にも)説明するために、レク資料をパソコンで作成し、印字した
(3)その資料を事務次官室に持参し、事務次官に(おそらく大臣や高等教育局長にも)内容を説明した
(4)事務次官はその説明に基づいて、方針を指示または了承した
という流れになります。
私見では、(1)の段階のメモも、残っていれば組織共用文書にあたります。個人的に趣味として筆記したものではなく、他省庁とのやりとりを省に帰った後に同僚や上司に説明するために作成されたものだからです。(2)のプリントアウトされたレク資料も事務次官など文科省の首脳部に配布するために作成されたのですから、同様です。ただ、行政実務では(おそらくなるべく情報公開の対象を狭くしたいとの下心から)組織共用の実質を狭く解釈する傾向があります。そういう人々は(1)(2)の段階では組織共用とはいえないというかもしれません。しかし、今回のケースでは(3)(4)が明らかなので、どんなに言い抜けようとしても無駄です。文書は実際に事務次官に配布され、それに基づいて政策判断がなされているからです。どんな行政実務家であっても、これが組織共用文書にあたらないという人はいないでしょう。

 ですから、今回の場合、「(本当はあるんだけど、それはあくまで個人のメモであって)行政文書としてはない」という言い逃れは絶対にできないのです。松野大臣はよくわかっていないので、国会答弁は支離滅裂ですが、事務方の文科省・義本博司総括審議官の発言(「共有フォルダー(の調査)や職員7人へのヒアリングの結果、行政文書として存在を確認できなかった」)は、あとで文書の存在を否定できなくなったとき、「行政文書として共有フォルダーに入っていなかったが、よく探したら個人のメモ(あるいは個人的な資料)として保管されていることがわかった」と弁明できるように組み立てられています。多分、上から言われて無理は承知の上でこう強弁しているのでしょう。だだ、繰り返しますが、「組織共用文書」(すなわち行政文書)であるかどうかはその実質(実際に組織で共用されているかどうか)で判断されるのであって、共有フォルダーに入っていない行政文書は多数存在するのです(このような実態は、文書管理上は非常に問題であり内閣府が定めた文書管理に関するガイドライン http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/hourei/kanri-gl.pdf に違反している疑いがありますが、菅官房長官の発言を聞いていると、内閣府自体がこのガイドラインをないがしろにしていることは明白であり、他省庁がこれを守らないのも無理はないと思いますが・・・・・・)。

 この点、前川さんは会見で繰り返し「文書は担当課が作成し、次官である私に配布され、共有(共用?)されていた」という趣旨のことを述べていましたが、これは「このレク資料は組織共用文書だよ、だから行政文書に該当するよ」ということをわかりやすく説明したものと推測されます。また、「さがせばすぐ出てくるはずです」という発言も、後輩たちに「行政文書としては存在しないなどという言い逃れは通用しないのだから、はやく存在を認めた方がいいよ」とやんわり忠告しているように聞こえました。
 
 ちなみに、前川さんは情報公開法制定の際、文部省内のとりまとめのような役割を担っていました。従って、「組織共用文書」や「行政文書」がどういうものなのか、熟知した上で発言していると思われます。


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