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あるとき、ある人と話しているとき、話しながら
あるとき、ある本を読んでいるとき、読みながら
あるとき、画や写真を観ているとき、考えながら
ときどき、以下のようなイメージが、現われます
A
┌────┐
| 内容 ┝形式
└────┘
かつ
┌────┐
| 形式 ┝内容
└────┘
『内容』を含む『形式』
かつ
『形式』を含む『内容』
B
↑ ↑ ↑
←┌────┐→
←| 作品 |→
←└────┘→
↓ ↓ ↓
A)生み手(作品)の内容(物語、テーマ、あるまとまった考えや見方)と、それに相性のいい形式とは不可分にあり、互いに内包し合っている。
B)創作された(四角い)枠が外に拡張されていく。読者や受け手がそうしたものを感じとれる。
AがゆくゆくはBとなる
──芸術性を持つための必要条件なのかもしれない。
一篇の詩でも一冊の本でもいいものと感じる場合にはBの矢印の拡がりがどこか心に感じどれるからのような気がいたします。
(しかし逆が言えるかどうかはわかりません。)
このことは芸術性だけにとどまらない気がします。
※あらゆるところでも通用するのだろうと思います。※
※をふまえ A について少し補足してみます。
人間の互いが交わすコミュニケーションにおいても
《その話し方とその話す中身とは切ってもきれないように》
《形式と内容には不可分な領域を保たせているのと考える》
そうした知恵や術を何百年何千年と培ってきたのだと思う。
そうして人と人とが対話する場合、相手から得るあらゆる情報
それをできうる限り取り込みながら
互いの身体(声調 表情、、 )
互いの状況(初対面 知り合い、)
外部環境(時間、場所、、)
対個人の 信条、思想、世相、精神状態、性格、
対話共有での、共有する部分や相反する部分
・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・
そうしたなかで話し方も話す内容も決めていける。
もっとも適した伝達行為を選び取り判断していける。
長い時間をかけてずーっと人間はその能力を培ってきたのだろうと思います。
≫≫≫≫
我々が長い歴史から得たそうしたコミュニケーション能力を
それと同じようなことをネットでやろうとするわけですから
さまざまな困難さが常につきまとってしまうのだろうと思います。
≫≫≫≫
図示がぐちゃぐちゃだったたり
よくわからない文章内容もあり
編集 文書訂正 追記しました
終わります。