戦争ジャーナリスト山本美香さんが伝えたかったこと


【2013/8/31アーカイブ】 

 山本美香さんが伝えたかったこと

『戦争は突然起きるわけではないと、私はいつも言っています。必ず小さな芽があります。その芽を摘んでしまえばいいわけです。そうすれば戦争は起こらないわけですから。その芽を摘めるかどうかがすごく重要だと思います』










The thing (war journalist)Ms. Mika Yamamoto wanted to tell

"I'm always saying that a war doesn't occur suddenly.
There is a small sprout certainly.
The reason you should nip in the bud. Because a war is the reason which doesn't happen when doing that. I think it's very important whether we can nip in the bud.

by Mika Yamamoto ( "the mission").


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1年と5ヶ月を隔て、日本の時代社会がここまで凶変するとは思わなかった。
戦争を引き起こす芽とはなんだろうか?、
1)人間感情で集団煽動する
2)人権をさげる
3)正当化する論理がつくられる
4)人間の営利が集まる

⇒人間の集団殺戮の芽がこうして育まれる。根絶できない勢いで拡大していく。
山本さんのこの言葉と現首相の今の言葉と比べてみる。自分の手で摘むべきものは1)〜4)と考えている。
首相の今の言動もその中に含まれると考えている。

長文謝辞.m(_ _)m


2013年8月31日

記事をいただきシェアさせてください。最近よく思うことですが。「戦争とは虚構である」と聞いたことがあります。戦争社会へと人々を向かわせるため、真実と嘘の両方が混濁し、撹乱する。その心理状態は恐怖、憎しみ、罪悪感情に陥る。戦争が起きる前に先ず、人間に対する信頼を喪失させていく。人の権利も自然法も通用しなくなる状態が生まれ(つくられ)人々はその辛苦な心理状態が日々日常に置かれ、追い詰められていったとき、人々は「いっそのこと戦争であることのほうがより現実であり、不安や苦しみを払拭させる唯一の道なのではないのか!」という個人の意識、そして共通感覚が生まれる。正当化し美化されながら、もう後戻りはできなくなるのです。戦争へと導く人々が使う政治的な心理作用は恐らくそのようなものを働かせるような気がします。個人も国家も集団も同じように働くのだと感じます。合目的に画策する直接の特定者も分からず配役もコロコロ変わり、監督も、キャストも不在状態にある。ただ人々は間接的に戦争世界に英雄の舞台として参加すれば、自然と戦争社会が出来上がっていくのだろう。と気がします。

昨今日本の現総理のツイッタのコメントを読みますと、そうした心理作用が強く働いている状態にあることを感じます。自己や自分に関わる社会をなんら少しも批判できずに、「強い者」への期待と意に盲従している様子を感じます。もし、もしも仮に、この先日本が、軍事政権を執ったとしても、賛同或いは是認していく事も、つまり、今の総理のように軍の正当性と美意識そして(虚構→現実としてつくりあげた)社会環境(戦争社会)を継続的に宣伝し、思想的に叩き込んでいけば、数年前はまったく認められないでいた民意=公共の識(=wisdom)、個人の価値観もコロッと変わってしまう。それぐらいもろいものなのだ、と思います。   

戦争と政治的心理を巧妙に操作している者(=自己を排した不特定の演者)が、バーチャルと現実とを駆使しはじめられていく、のだと感じます。私さへも、知らず知らずに、そうした世界とつながっているかもしれないということ。先ず市場から親密に加担していき、反戦、良心、正当化しなくてもそれ自体で成立する哲学も、道徳も、精神も、変えていき、黙らせる努力を、今一生懸命やっているのだと思います。

しかし、誰?とか、どこの国?とか、どこの人間?、というのではなく、主体や対象を排した世界観に生き(脱中心、脱責任、脱法律、)で成り立つ社会や人々、そうした考え方に同意しそれと似た価値観を持つ人々です。私もそうである、同じ人間としての共犯者であるということです。そういうかたちで浸透しています。


山本さんが亡くなったシリアへ日本人の意識を集中させこの悲しいヒロインをひとつの英雄として仕立てあげれば多くの人々が軍隊駐留を支持しますでしょう。。そういう小さな画策を小さな努力を遂行しようとする素振りがもし微塵でもあるならオミットします。
反戦というのは、戦がなければ必要ありません。反戦は正当防衛能力を無効にするから危険だ、という論調や考え方は確かに理解します。ですがそういう事態を、そういう社会環境をできるだけ限定的なものにしていかないといけない。と思います。
アメリカの銃規制法の見直しが出来なかったのはこの考え方によってです。猟銃としてだけでなく殺戮の武器となるほどの携帯銃も機関銃も簡単に売買ができることを規制する法律を阻止したのは、狙われても防衛できない社会にしてくれるな。という、それが当たり前のアメリカ社会を、それをそのままそっくりの論調を丸投げし、「戦争とは時に正当なものである。」と、主張しているのが昨今の日本国内の風潮、メディアも政治家もよくします。
彼女のこの一文をもう一度「読み」なおすべきです。戦争と呼ぶ前の小さな燻りが致命的となる前に、私たちは何とか一歩手前で踏み留まり対処することが、より一層大事なことのように思います。

(記)2013.8.31