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からだをつかえばよいものがうまれる。あたまをつかえば、よいものもわるいものもうまれる。
皆がみなそうやってきたことが後になって気づかされたとき、がっかりな、
仕事の手足が、遠くで置いてきぼりをくっていた。バラバラ、バラバラ、に架橋をくぐる、線路をみおろす、はらわたが石綿のように捩じ込まれた傷みの今のこの心地。心配事を吹っ切らすため、橋の階段をおりていく、『右踵あげます、前に出します、降ろします。左踵あげます、前にだします、降ろします。』身体のひとつひとつの動作を、ゆっくりこなしながら、頭でじっくり確かめ、身体に感じ、言葉で実況していく。
21:00頃
昨日見た惑星は、木星と金星だったようだ。何年ぶりだろ、深夜本屋で開いた天文ガイド、星図の記号をなつかしむ。5月21日に朝7:30 太平洋ベルト付近で金環日食だそうである。以降2041年まで待たないと日本では無理なようだ。
数理と天文が太古に、結ばれ、分岐し、交差し、よられ、とかれ、人間の歴史的現在(現として在るもの)
わたしの人間の記憶は過去という虚構であり、一歩その先の未来という人間のわたしの虚像は、0:50
幻であるきがする。
幻を視る 幻を視る
そして観る そして観る
そして診る そして診る
こころみる こころみる
そしてまた … …
知識、頭によって選り分けられた多くを一元化させることは、机上においてあまりよい仕事の結果を生まないのではなかろうか。現代においては。
粒子性とも波の性質ともよべる光はまた別の物性の次元で、また違った別の世界をつくっているだろう、例えば、身体の五感を視覚聴覚嗅覚味覚痛覚と選り分けられた、それらすべての性質を兼ね備えた別の第六感が、わたしの知らない世界をつくり、つくりかえているんだろう。(か…?)1:51
明日がやばいので寝る。