写真
涅槃
帰依灯明の最期の説法を終え ようやくかたえの蓮を枕に 仏陀は
心臓をうえにして 右脚を左の脚にのせて 北を枕に寝床臥す姿が
金色の雨天アマテから落ちてくる生命の赤い薬袋も木にかかり届かない
夜叉も魑魅魍魎も餓鬼らも僧侶も貴族も象も犬猫も、穢多も非人も、
一切合切の地上の生き物たちが釈尊を囲み嘆き、入滅する。
こけしの子どもが ゴーギャンのポーズで これから雑巾がけをすると 言っている
↓ 明恵上人御歌
あかあかや あかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月
山のはにわれも入りなん月も入れ 夜な夜なごとに友とせむ
\∵ゞ 樹上坐禅像 手にあまり綴った思慮のメモ書き … \☆ゞ
あぁかくひん剥かれた杉の樹皮がうえへうえへと伸びていく
つられて またぎに坐る上人も浮かれてる
目をあけているのか 閉じているのかわからないまま
何か見えればと思ったが 目を閉じてみていた
あかあかとしたたる血のりの掛け軸の そのなかに
燃え上がるやわらかな枝の樹が 線をはなれて線でなくなる
ゆらめいている炎と木も 線をはなれて線でなくなる
頭で考えたらそんな気がした
、、、、、、、、、、、、、おわり。
コンビニ夜飯(やめし)をかって空きP見つけて
電柱明かりの根元に腰掛けいただきマウス
箸をとる
携帯開く
、
誰かが見ている
道端の薄暗がりな電灯の片隅で膝をかかえ夜空をみあげている
宮沢賢治がいた、彼のそういう姿が私の心のどこか片隅にいてる。
今日父から手紙がきた
封を開け、手回し懐中電灯でつらつら読むにつけ
あぁオヤジも年くったな
もろくも私ももらいなく
とうとうと亡き恩師に嘆く肉筆は、誰に聞かすでなくパンフに綴られていた。
彼にとってコトバは作品にまして最後の砦なのかもしれない。
返信の手紙をこれから綴ろう。自動車税貸しで母に頼む。振り込み用紙同封のうえ、それじゃあ申し訳ないから、鹿王院に飾られた涅槃の図絵写真と、高山寺の鳥獣戯画の写真と、亡きあとの道子さんとの邂逅接触離別にまつわる稚拙の創作プリントも
よしよし
いまにみていろ
ヘイ!ブラダ
。(終わり